2010年12月30日木曜日

ぽるしぇの正体は?

今回の長旅のお供は 「農道のポルシェ」 として有名な六連星のサンバー君である。型式名 TV1 最終型のスバル軽自動車、サンバー以外はすでにダイハツのOEM。純粋な群馬工場産はこれで打ち切り、あと3ヶ月で生産終了。何とも悲しい事態である。性能ははっきり言って20年前のレベル。廉価版を買ったので、ウインドウの上げ下げがレギュレーターをくるくる回すのがご愛敬だが、ETCを付けていて良かったと思った。料金所が怖い。1速が大変なローギアード。信号発進の度に煽られる。高速の坂道は登坂路線にはじかれたように逃げる。80kmを越えると横風でふらふら。オービス探知機を付けたが全く意味無し。ABSもエアバックも無いのでちょっと危ないが昔はみんなそうだった。最初に乗った車がスバル360。それとどこか共通点がある憎めない愛すべき車だ。このような名車が消え去る日本車文化が淋しい。
実際のところはミート君を売ったのとの差額で残っていた家のローンを完済することができたので、目出度しというところか。荷物が積めて小回りは効くので宅配バイトでもするには好都合。無給の3ヶ月はこれで稼ぐことにしよう。

いよいよ年の瀬、今日は所用があったので都心へ出かけた。正月買い物客の喧噪を避けて老舗の甘い物屋へ。杏あんみつの素朴な味を楽しんだ。

帰郷最終日

名古屋を後にして、今はもう誰も知人すらいない故郷へ。村の名前を発見。ここは荒川修作の手になる養老天地反転地。すべての地面がうねっていて人間の眠っている感覚に訴えている。立っていることが苦痛なのは身体感覚が退化している証拠。しばらくいるとやがて不思議な心地よさが。人間が本来持つ潜在能力はすごい。バリアフリーとは対極にあって、まだまだ鍛えなくてはいけない。そう考えると斜めで揺れるヨットに乗るのも、まんざら悪いコトでは無いと思えるようになった。
養老へ行ったもう一つの目的は滝の水が酒になるのを願ってではない。
憧れのビート君のレストア工場探訪である。それなりに綺麗な工房は
納得できたが、もうひとつ納得できないのは、そのお値段である。
バンクーバーで見た、さりげない普段着のビートはもう存在しないのか?

2010年12月28日火曜日

ナポリピザ

寒空のもと、車は快調に走る。坂道でもパワー十分。さすがはスーパーチャージャー。4輪独立懸架リアエンジン、リアドライブという仕様は今や貴重な存在。ヒューンという音を残して無事に名古屋に到着。

夜は旧友ST君と会食、地元では有名なナポリピザの店。世界一の店という大きな看板、これぞ名古屋人、エビフレーの土地柄だけはある。お味はまあまあ80点、中目黒のサボイにはかなわない。

それよりも心に残ったのは、昼に食べた菜飯田楽。愛知赤だしは何度食べても旨い。
血圧に良くないのは分かっているがしじみ汁をお代わりしてしまった。

2010年12月27日月曜日

還暦祝いに


あと1週間で誕生日が大きく一回り。記念にポルシェでも買おうかと思い、思い切って購入。慣らしを兼ねて墓参りへ。車の詳細は旅の終わりに紹介の予定。途中立ち寄ったのは茶畑の中のイカ焼き屋さんの屋台を作る工場。本業はヨット屋さんなのに最近は需要がないそうだ。さびしい限り。




世の中 遊んでいる間に

街はイルミネーションが輝いている。あちらこちらから聞こえるクリスマスソング。不景気といいながらも、人が繰り出している。そんな喧騒は人ごと。こちらは洋風屋形船の船員さんバイト。年明け3か月の無給生活に備えて少しは稼いでおかねば。海から見る東京の夜景は奇麗だが、寒いこと寒いこと。上下合羽の完全武装でも震えがくる。クリスマスは帰宅途中のイタトマで一人ショートケーキを食べた。


2010年12月19日日曜日

充実週末!

土曜日はあたふたと過ぎた。のんびり過ごしていた昼前に電話が、来年度から頼まれた専門学校の講師の口だが、お役所からクレームが付いた。専門分野に関する実績が不足とのこと。どうしても私を起用したい知人は大変なことを課してきた。当該の学会に入会の上、査読論文を年内に書いてくれとのこと。勉強するのはやぶさかではないが、あまりに唐突過ぎる。でも熱意に負けてお引き受けすることに。これで晦日も正月も無いPC暮らしが約束されてしまった。早々に業界から足を洗う予定だったのだが。
気を取り直して、午後から海へGo!行きがけに銀座でグループ展に出品している先輩の絵を観に行った。初学者と謙遜されていたが、何よりも楽しんで描いていることが感じられた。初心忘れるべからず、また絵筆を握ってみたくなった。
新橋から赤い電車に乗る前に古い駅ビルへ。もの凄くレトロな喫茶店でフルーツみつ豆を食べる。こんなメニュー自体もうお目にかかることがなく、それだけで敢闘賞ものである。
船台に上がった船で独り寝。暖房がなく寒かったのでお湯を沸かした。狭い船内なので、ものの5分もせずに暖まる。その後爆睡。ラジオをつけっぱなして寝てしまった。子守歌になったのかも。翌日のレースは3人という人手不足で参加。どたばた数知れず。失敗も多かったが、それでも楽しいヨットレース。夕暮れの浜辺に立ち寄る。北風がしっかりと吹き、冬の到来が近いことが感じられたが、爽やかな一時を味わった。さて、また明日から1週間が始まる。

2010年12月17日金曜日

ちょっと感激

今週は冷たい雨から始まった。八王子の山奥のZ大のキャンパスは冷え冷えとしていた。期末なので命乞いをしてくる学生が後から後から。その対応にすっかり疲れてしまった。まあ、自分の学生時代を振り返ると何も言えないが。翌日は赤いミニカーの扉がボロリ!!寄る年波には勝てぬというところか。近所の名板金屋さんで無事に修理完了。はらはらさせられた。週中は学期末のルーティンワーク。イヤイヤやり終えた。本日はK短大の最終授業。実習がある分、他よりも早く終わるという訳。

授業はいつものように楽しく朗らかに終了。最後に寄せ書きをもらった。まるで小学生のような素直さ。いや、受験で追い詰められている小学生よりもピュアかもしれない。授業は大変なこともあったが一瞬でその苦労も吹っ飛んだ。帰りに立ち寄ったターミナル駅でみた黄昏はキラキラと輝いてみえた。

2010年12月12日日曜日

色々ありましたが

今週も慌ただしく週報となりました。何しろZ大のテストには降参!今週は人数の少ない授業のテスト採点。といっても140人分は重い重い。週の半ばは年金受給の手続き調べ。3カ所から年金を貰うので複雑極まる。例外的なことは電話で問い合わせるのだが、これがまた繋がらない。あっという間に半日が終わる。お役所への事前請求書類も半端なものではない。でも、頑張って貰わねば喰うにも事欠く。年末年始はアルバイトに励もうと考え、近所のお菓子工場にアタック!大手2件はけんもほろろで討ち死に。小さな駅前のお菓子屋さんは脈有りだったが、年齢を聞かれてアウト!裏のお仕事だけでなく、お店にも出て貰うつもりなので・・・というのがお断りの理由。サンタさんに扮して直談判するべきだったか。
暗い気持ちで迎えた週末。三浦の海と大根畑と富士山が優しく迎えてくれた。日曜日はクラブレースの最終戦。28ノットの強風でもがんばり何とか自分達のレースが出来た、チームワークの賜。結果は何と年間総合優勝!!!
ここのところ勝利の女神が微笑んでくれている。楽しくヨットを続けられるのは良き仲間がいるから。感謝感謝!

2010年12月5日日曜日

またまた怒濤の1週間

あっという間の1週間。なかなかブログまで行き着けない。先週末はヨットの定例練習日だったのだが、何故か東銀座で待ち合わせたC先輩の行き先は壺ならぬ月島。よほど郷土愛が強いのだろう。翌日は大西につき出航停止。昼から酒盛り状態だった。これがケチのつき始め、いやな予感で週がスタート。月曜日のZ大は新聞紙を使ったワーク活動。学生さんが机から落ちないかハラハラどきどき。そこまでは良かったが期末に備えてミニテスト。この採点が大変なこと、大変なこと。授業途中から携帯で呼び出された?学生がどやどや乱入。240名が受験してしまったから、やってもやってもテスト用紙の山が減らぬ。ふう。テストも片づかぬのに、連続してやってきたのが忘年会。都会のクリスマス気分を味わったまでは良かったが、体調が優れぬのに不覚にも大酒を飲んでしまった。その結果、急性胃腸炎に!
K短大の講義は初の休講。シドニー行きの時に無理しても穴を空けずに頑張ってよかった。あの時、もしも休んでいたら這ってでも行かねばならなかっただろう。
休講し、よく休養をとり、夜はレースの祝勝会へ。言い出しっぺなので休む訳にはいかない。2次会は失礼し、都心のホテルで熟睡。折角都会で寝たので、翌朝は川を渡って千葉県へ。恩師の画業60年の一大回顧展を鑑賞。先生にはお会いできなかったが、80歳を過ぎてまだ盛んに制作している模様。30年ほど前に、まだまだ画家としては駆け出しと言っていたことを思いだした。ひとつの事を追求する人生の重み。大きな感動を覚えながら帰宅した。