2009年11月30日月曜日

くたくた

お受験の願書受付日。大学の大講堂を貸し切って行われる。午前中3時間は男子なので、後半少し人の流れは途切れるが、午後の女子は3時間の間、全く切れ目がない。どうしてもトイレに行きたくて3分間ほど交代してもらったが、あとは座り通しで受験票をちぎる単純作業。しかし、相手は真剣そのもの。ここには書けないがいくつか緊迫するドラマがあった。そんな訳で片付け終わった午後6時にはくたくた。早々に引き揚げ帰宅した。帰りがけにウイルキンソンのジンジャーエールを購入。もちろんドライタイプ。館山の無農薬レモンでホーセズネックを作りたかったからだ。レシピは、氷を満たしたグラスにブランデーを1/4そこへジンジャーエールを注ぐ。グルグルっと螺旋状に剥いたレモンの皮をどっぷりと浸しバースプーンでステアー。ルーズベルトが愛馬の首を撫でながら愛飲したとか。喉の渇きが取れる爽快なおいしさ。一気に飲んでしまい、本日は写真を撮り忘れてしまった。

2009年11月29日日曜日

小さな学校

横須賀から帰るのは面倒なので、泊まるためだけに壺の船へ。ヨットの中は不思議と良く眠れる。朝市へ行くつもりが寝過ごしてしまった。エンジンの点検のため、外海が見えるところまで一周して上架した。燃料計の不調が続く。何故か目盛りは、ほぼ満タン状態。先週のガス欠は誤りだったのか。そうなるともっと危ない不調なのかも。いずれにせよ、あまり動かない船は調子が悪いもの。毎週行ければいいのだが、そうもいかないのが辛いところ。船台の錆も激しくなってきた。さて、午前中に赤い電車に乗って平和島へ。赴任2年目の後輩が担当した展覧会を参観。各学年単学級、全校でも児童数が160人とか。大田区の中でも下町の雰囲気のNT校。保護者も気さくな方が多いとみた。教育は小規模で行われる方がいいに決まっている。さて、明日は勤務校のお受験の始まり。願書受付に何人くることやら。

2009年11月28日土曜日

横須賀バーガー

みかん博士、またの名は館山ヨットクラブ会長、T氏のもとを訪れた。温州が最盛期。無農薬の逸品を頂戴した。おまけにレモンも。ホースネックをしても安心というわけ。それよりもみかんはすべてクローンという衝撃的なレクチャーがあった。一同感心しきり。その後、東京湾をフェリーで渡る。アクアラインが800円という効果は絶大で、土曜の午後にも関わらずフェリーは閑散としていた。下見の最後の目的地はミナト横須賀。ボランティアガイドの方との連絡会は一波乱。横須賀バーガーを140人で食べるというばかげたツアーに教育員会の方まで出てきて事情聴取。まあ、結果的には解り合えて3月の卒業旅行の最終日は、ドブイタを歩き横須賀バーガーを食べてしめくくることに。私の個人的な趣味の延長という声も聞かれたが、まあそんなわがままも最後ということで許してくれることになりそうだ。














これじゃ

銀座でコーチ会。会議を中座し駆けつける。某ホテルのロビーは話し合いに最適の雰囲気、軽食も取れる。そこでやめときゃよかったが、ビジネスを取っていた安心感からか次の店へ。以前、ムール貝を食べておいしかった店を思い出し、木挽町へ。カウンターを占領し、ヌーボーを次々に空ける。生ガキや子羊。そうなると止まらない。結果若いOB連に散在させてしまった。反省しきり。しかもビジネスの部屋のカーテンの遮光がすぐれ、大寝坊。首都高を使いタクシーで職場へ。20分で到着。事なきを得た。金曜日は退勤後、館山へ。今回はヨットではなく、卒業旅行の下見。ここでまた寿司屋で宴会。なめろう、さんが、くじらのたれなどを堪能。これじゃ身体にいいわけないよ。わかっちゃいるけど・・・と植木等調。今晩は横須賀バーガーへも、懐かしのハニービーにも行くが、自分だけサラダで我慢するか・・・

2009年11月25日水曜日

まもなく

早いもので、もうすぐ12月。近頃は平日よりも週末が忙しい。明日は銀座でコーチ会議。金曜日は以前から企画していた戦争の話を聞く会の本番、夕刻は受験の準備、そしてそのまま卒業旅行の下見へ直行。いつになったら真の休日が来るのか。退職まで、あと4ヶ月を切ったが、このままのペースでなだれ込みそうで恐い。今日も夕食後、しばし横になり寝てしまった。さて、明日からの出張準備をしなくては。原稿書きもまだ山積みで、明日は都心のホテル泊まりなので3泊4日の小旅行となる。頭がパニック状態の時、心を和ませてくれるのがクリスマスイルミネーション。ご近所の一番乗りが数日前から点灯していたのだが、やっと写真を撮った。やがて何軒にも広がると思われるが不景気の影響か、まだこの一軒のみである。

2009年11月24日火曜日

水軍レース

先週は、バタバタ過ごした週だった。音楽会という一大行事が終わってやれやれ。金曜の夜は息子が一時帰国し、夕食を共に。バイキングにしたので、つい食べ過ぎてしまった。土曜日はZ大から直行海へ。久しぶりに明るい時間に到着。現役の到着を待って船を浮かべる。色々準備した後、館山軍団がいる三崎港へは、船ではなく車で来訪。しばし歓談し、また油壺へUターン。人が集まらず、現役二人と食事。人数が少なかったので、松輪の鯖を振る舞った。これが、すこぶる美味。写真を撮る余裕もなかった。青みの魚は体にいいと言い訳しながら味わった。明けて日曜日、メンバーが到着。予想通り北風が10mは吹いている。城ヶ島を巡るレースなので、地形の影響を受け風が落ちると思えば、冬の重いブローも受けた。平均で18ノットだったが、ブローを受けると24ノットぐらい。そして何よりも寒い。朝は雨までちらついた。レースは最高のタイミングでスタート。スピンを揚げるがチームワーク悪く、うまく走らせられない。それでも、まずまずの位置で南西ブイを回航。厳しい上りに入る。ここでスピード角度共に悪くなかなか前へ進まない。城ヶ島へ出来るだけ寄せてタックしたつもりが、一番いい風道までは届かず、だらだらと落とされてしまう。赤白ブイを回って挽回すべくスピン用意。回って直ぐにアップするが、アップするのにあたふた。また連携プレーも悪くドタバタ。それが今回一番のブレーキとなった。スピンが上がると、何と目の前に網が!!慌ててジャイブ。これも決まらずスピンを巻いてしまう。巻きを解消しようとガンバった現役がライフラインの外へ!!!くるっと見事な?前転。落水は免れたが、船の外へへばりついている。何とか回収し事なきを得た。トラブルは連鎖的に起きるものだ。非常事態になると冷静な判断ができないのも経験不足か。大いに反省すべきアクシデントだった。その後は闘志も萎えたので慎重にゴール。いい風だったのでハーバーへ早めに帰着。ステーのチューニングが出鱈目と名人に指摘され、調整を試みるが潮に固まったパーツがうんとも言わない。諦めて次回に調整は回した。一風呂浴びてパーティー会場へ。例によってこればかりは素早い動き。表彰式があまりに遅いのでしびれを切らせて帰宅。運良く3路線全部座れて爆睡。家に帰ったのは10時前だったがベットへ直行。朝起きたら筋肉痛でまともに歩けなかった。

2009年11月20日金曜日

たまには

食べ物ネタではなく、お仕事の話でも。今日は最後の音楽会であった。インフルエンザの影響力は大きく、一時は学年毎開催などという案もあったが、折衷案で2部形式、つまり奇数学年と偶数学年に分けて開催。そんなこととインフルエンザの蔓延とは無関係なような気がするが、そこは形式を重んじる我が国のしきたりに従うしかない。6年生の担任なので子ども達にとっても最後の音楽会となった。終わりの言葉、いわゆる児童代表の挨拶の中にも、あと4ヶ月で卒業ですという一言があったが、私に向かってのコトバと勝手に解釈。それにしても、あと4ヶ月で山のような仕事と荷物が本当に片付くのだろうか。今年は暮れも正月も無さそうだ。やれやれ。ところで、一時保留になっていた血液検査の結果、親切にも電話で連絡があった。結果は半分マルで生命保険には入れることに。でも、半分はバツでがっかり。宇都宮、函館とヘビーな週末が災いしたに違いない、次回の検査は来春だが、節制は明日からやれと主治医から厳しい苦言が。
明日からの水軍レース、三崎の夜は控えめにするとしよう。写真は本番前の最後のリハーサル。音楽会は立派な歴史的な建造物であるところの大学講堂で行われた。

2009年11月18日水曜日

遭遇

すっかり寝坊してしまった今朝。6時半を回ってから出勤。裏道を駆使して何とか1時間以内に到着。駐車場へ駐めると後からワゴン車が。降りてきた男性が例のバーナード君の家へ。しばし、眺めていたら元気よくバーナード君が飛び出し、散歩の始まり。目の前を通ったが、ワンと一喝吼えられてシャッターを押すのが遅れた。さっさと主人公は通り過ぎてしまい、後ろ姿しか残らなかった。よだれの飛沫が飛んで来るぐらい接近したのは初めて。感動ものだった。散歩の主が、いつものおばあさまではなくオジサンだったのは、やはり巨漢に毎日のように相対するのは大変だからか、はたまた小雨模様だったからか。お犬様との日々は苦労もあるだろうが楽しそう。正直、羨ましかった。今日は血液検査の結果を聞くために早退。阿佐ヶ谷の主治医の元へ。ところが、結果は手違いによりまだ未着。毎日営業していない気まぐれ町医者だからしょうがないか。金曜日まで判決は持ち越された。それをいいことに阿佐ヶ谷の鉄鍋餃子の名店でお土産をゲット。結果が凶とでたらこんなご馳走ともお別れかも。最後の餃子にならないことを祈って。

2009年11月17日火曜日

馴染みの


原稿書きの山場を越えてホッと一息。まだまだやるべきことは多いが締め切りに追いまくられるのは一時中断。久々に勤めを終えて近所のパン屋さんへ。パンも美味しいのだが、ここのマダムがチーズ好きで、色々と珍しいチーズをサイドビジネスとして扱っている。相当の飲んべらしく、ワインにも詳しい。チーズ談義をしばし、必ずおまけにくれるパンが美味しい。店先に本が積んであるので何かと思ったら、「わざわざ行きたいパン屋さん」という本だった。そこにこの店が大きく紹介されていたが、マダムは編集のセンスが悪いとご機嫌斜め。本は半額にて販売されていたので入手した。もう一つのサイド物は群馬産の健康食品。経木にくるまれた納豆がすこぶる美味しい。帰りに寄り道する余裕ができたことを喜ぼう。11月16日の出来事。

2009年11月15日日曜日

無事に終了

溜まりに溜まった原稿。ここで片付けねばと頑張った。本当は学生と館山へ行くつもりだったが人数が揃わぬことを言い訳にキャンセル。この週末は強風だったので土曜日の館山回航は実際無理だっただろう。そんな訳で原稿に専念と思ったけど、なかなか、そのモードに入るまでが大変。一線を越えて執筆モードに入ればすらすら進むのだが、今朝も007を観てしまい、スタートが遅れた。農協でゴボウを買い、夜の楽しみはゴボウポタージュ。何かご褒美がないと進まぬ競走馬のようだ。何とか数ヶ月間の懸案の原稿を2件片付けた。さて、来週は水軍レース。三崎の夜を楽しむとするか。

2009年11月13日金曜日

血液検査

本当は来週だった血液検査を急遽今週実施。ドクターのオーストラリア行きがキャンセルとなり、またクラブの用事で打ち合わせなどあり、午前休をとって阿佐ヶ谷へ。少しでもカロリーを減らそうと直前の努力。3645歩では大した効果は期待できないかも。まあ、気休めということで。丸の内線をほぼ一周して、職場の最寄り駅へ。エスプレッソを一杯。コーヒー専門店ではないが、ここのは美味しい。ヒントは青いカップ。スタバは冷めないうちに飲んでくださいという割に手際が悪く冷めているし、ドトールも今ひとつ。空いているのでこの店は美味しいのか。まあ、マシンが良ければそれなりの味はでるのだろう。血液検査に備えた節制生活が一区切りした安堵感がエスプレッソを美味しくさせたというのが正解か。
夕方は、月末に戦争の話をしに来てくれる友人が打ち合わせに来校。知らなかったが、千代田区のB小、K中、H高校経由して慶應に入り、そのまま教授までなったとか。そんなエリートが飲み友達とは。来校のお礼ということで大塚の名店へ。コの字のカウンターといえば・・・。何しろお燗が美味しく、また肴も気が利いている。節制はしばし忘れてゆっくりと味わった。燗の暖かみが嬉しい季節となった。

2009年11月11日水曜日

卒業アルバム

6年生の担任は何度目か。その度にアルバム担当になるのは仕方のないことと諦めている。今年は個人写真に代えて私の成りたい将来というテーマでコスプレ撮影をした。男子では、サラリーマンなどというありきたりの物が多かったのは安定志向の表れか。それに対して女子は多彩であった、今に女性上位社会が来るに違いないと実感した。

出張続き

11月6日 宇都宮の附属小へ。研究会もそれなりに盛り上がったが、面白かったのは懇親会。駅近くのホテルで盛大なパーティーだった。挨拶は長かったが、じりじりと模擬店へ接近。まずはカクテルコーナーへ。宇都宮はカクテルコンテストで常に上位入賞する実力派。町おこしにもなっているみたい。噂の女性バーテンダーではなかったが、キャリア充分のお二人がシェーカーを振っていた。乾杯の発声と同時にカクテルコーナーへ突進!ギブソンに始まりスクリュードライバー、数杯を飲み干すまで模擬店の前を立ち去ることができなかった。続いてはお隣の餃子模擬店。こちらはより有名だ。焼く先からどんどん餃子が消えていく。さすがの私も箸の動きが鈍く、おばさま連にかっさらわれ通し。やっとのことで数切れをゲット。まあ、味は並みだったが、雰囲気効果は大きく餃子の前の行列は途絶えることがなかった。宇都宮の町おこし
は、ある程度の効果を上げてとみた。餃子の味は正直言ってさほどではなく、全国各地の名店に比べれば一段階ランクは落ちる。池袋のナンジャタウンでも行った方が、はるかに美味しい餃子が味わえそう。それでも宇都宮へ降りると餃子が気になるのは何らかの刷り込みが成功してるのだろうか。本題の研究会は、地方の教育実態がわかりカルチャーショックだった。やはり首都圏の教育レベルは格段に高い。どうして地方都市は誤った中央志向をもっているのだろうか。

話変わって7日8日の週末は北の国の玄関、函館行きだった。未来大学という一風変わった公立大学へ。レクチュアーもそこそこに夜の街へ。お刺身はそれなりに美味しかったが、うにの箱の側面にはロシア産と明記されていた。ちょっと興ざめで蟹を頼むことは躊躇した。値段は一人頭3500円と安めだったが、驚くほどでもない。今や流通の進歩と価格破壊の相乗効果で東京でもそれなりの物が食べられると思った。地方のレベルを実感するのは、むしろ酒。お燗の酒を頼んだが、冷めていて飲める物ではなかった。温度計をいれてお燗の温度を見る心遣いはないとみた。
また、生ものは初めは美味しいが、あまり続くと飽きてくるので焼き物など所望したかったが、相手があるので我が儘も言えず、やや欲求不満が溜まった。翌朝はお決まりの函館山登山。左下に見える人工島に20杯ほどのヨットが係留されていた。青函レースなるものにも、一度は乗ってみたいものだ。そうこうしているうちに短い出張は終盤へ。再度はこだて未来大訪問。ここは建物がユニークでスキップフロア、オープンスペース。知らぬ間に異業種の交流が行われるというコンセプトの建物なのだが、開校後年数を経るにしたがい、自分のテリトリーを囲う構造物などができ
てしまい、理想と現実とのギャップをみた思いがした。新興大学は街の外れに出来ることが多く、ここも例外ではない。吹雪の夜など、さぞかし通勤が辛いだろうなと思った。ゆっくり温泉に入る間もなく帰る時間に、お土産など買おうと空港のショップをみたら、あまりにも淋しい。北海道物産展が頻繁に開かれる東京人に対する洒落た土産は見つからなかった。


2009年11月3日火曜日

澄み渡る日

冬の気配が遠くに感じられる北風の日。所用で葉山へ。修復画の工房が山の上にあった。アートセラピー談義なども他の分野の方と出来てよかった。学校教育よりも面白くなってきた。澄み渡る空と相模湾。富士山がきれいだった。葉山マリーナ経由、壺へ。慰霊碑の前で安全祈願。コーチ業も今からが指針を決める大事な時と感じた。軽自動車を無事に回送し、帰りは赤い電車で銀座へ一本。夕暮れの歩行者天国を歩いてみた。溜まっている原稿のことも忘れ、爽やかに過ごせた一日だった。

ちょっとまとめて


月が変わってしまった。久々の更新。学級閉鎖が解除されてから怒濤のように仕事が湧いてきてこなすのに精一杯だった。夜はほとんど気絶状態だった。楽しみにしていた六本木のパーティーも仕事が片付かずDNS。まあ、からだの為には良かったのかも。代わりに九段下の有名ラーメン店に行ってしまったので結果は同じか。金曜日は最後の?校外学習。両国の江戸博へ行った。私にとっての見所は何と言ってもスバル360。何度見てもいい車だ。レストアした軽自動車の専売店が近所にあり、一度購入を考えたが値段を聞いて只眺めるだけとしている。
帰りがけに高橋のどぜう屋へ。ここの丸(骨付き)は何度食べても美味しい。良くつけ込んであり、柔らかい。ネギをたっぷり日本酒が進む。からだにいい筈のどぜうだが、焼き海苔をつまみにかなりの数の徳利が空いてしまった。反省。