2011年1月31日月曜日

気分転換週末その2

夜半に頼りになる黄金クルーのM氏到着。こちらは既に寝入っていたのでミニライオン君の唸り声もほとんど耳に入らず熟睡。朝聞いたらライオンの子は二匹いたもよう。先に寝た方が勝ちである。朝飯は急に出来た買い物の用を済ます為に久里浜まで遠出。黒船食堂は何年経っても時間が停まっていてホッとする。日本の朝ご飯を堪能。
さて、今日はM氏の指導の下、船のハル磨き。本格的な道具で頑張るが、二馬力で出来ることはしれている。半日かけて右舷側だけ終了。残りは二月の整備とした。あれこれ雑用も済ますともう、帰り時間。キャベツ畑越しに見えた富士山が雄大だった。汗もかき、手を動かし気分はリフレッシュ。やはり海に来ることは欠かしてはいけないと納得。さて、来週も色々あるが、乗り切らなくては。1月30日の出来事。

気分転換週末その1


咳がなかなか止まず、憂鬱な一週間だったが、会合があって海へ。まずは、先週の表彰式に出られなかった故に初対面となる栄光の優勝カップを撫でに行った。うーん、手作りぽっくて秀逸。航路ブイを模しているのでシャンペンを注ぐ杯はついていなかった。
その後レースの安全講習会へ。昨年起きた事故の検証会であった。
早くも壺は夕暮れ。坂を上って来週講演をお願いしているSTさんのマンションへ。打ち合わせを終えて三崎でのんびり食事と思って散歩がてら歩いて行ったら、何と中華屋はヨットクラブの連中がくだを巻いていた。何だかんだで二次会もおつき合い。久しぶりのお酒が効いてすぐに撃沈。壺に来ると何故か深い眠りにつくことが出来る。潮風がからだにいいのだろう。

遅ればせながら

ブログ更新。ここのところ色々あって手が回らなかったというのが本音。仕事が無く、時間があると逆に考え過ぎてしまうのかもしれない。
所属する会の人事で悩みは尽きない。今日は先輩のところを尋ねて種々相談に乗ってもらった。築地のC先輩のところはお店が忙しい時間に顔を出したので、言葉を交わすことは少なかったが充分に意を汲んでいただけたよう。帰り際にお土産までいただいた。信頼できる先輩のありがたき存在に感謝。
続いて銀座へ移動。ブランド店と安売り屋が軒を並べる、これが今の銀座なのだろうか。
大先輩と昼食。説得されつつご馳走になる。銀座の街には似合わぬ農道のポルシェはデパートの立体パーキングには入りきらずタワーの外の狭い場所へ。お買い物ですかと二度も念を押されたのは車のせいか、はたまたドライバーの人相のせいか。後者でないと勝手に解釈しておこう。1月24日の出来事。咳は、ほぼ止まってきたが体調は今一歩。

2011年1月23日日曜日

雪国へ

久しぶりに早起き。まだ暗いR254を飛ばす。東松山まで40分で到着。ここから関越道に入れば大都市近郊区間を通らないので、どこまで行っても1000円均一なり。途中佐久平で休憩、雪景色に見とれる。所沢の手前から栗の小布施まで3時間丁度。壺へ行くのとどっこいである。高速料金もどっこい。距離は3倍近くあるのに。
訳あって長野の自動車屋さんへ。ちょっと重大な持病が見つかったミニカをサイボーグ化。つまり2台を寄せ集め、いいとこ取りで1台に組み直す大手術をすることとなった。すべて中古部品なので、さして費用もかからぬ。人間様もこういうふうに悪いところは、どんどん交換できればいいのだが、そうもいかない。一番悪いのは性格かもしれないので、こればかりは部品をすげ替えても治らないだろう。周囲の声を気にせず、頑固に余生を生き抜くべきか否か。迷う今日この頃である。

用事が思いの外早く済んだので、長野といえば善光寺参りに出発。小雪の舞い散る空だったが、東京よりも温かく思えたのは湿度のせいか。喉にたくさん線香の煙を吸い込み無病息災のお守りを手に入れた。調子の悪いときの神頼み。勝手なものである。さて、御利益はあるかどうか。
参道の張り紙を見て解ったが、今年はどうやら本厄らしい。気をつけねば。

2011年1月22日土曜日

ポルシェ 初検診


新車の慣らしが終わり、早くスーパーチャージャーをフルに回したいところ。やっと名人のところで油脂交換を済ませた。車中泊に備えて電気毛布と予備バッテリーも装備。これで、どこへ行っても眠れるかな。その前にカーテン自作しなきゃね。さすらいのホームレス生活まで、あと一歩というところ。早く元気にならねば。まだ深い咳こみが停まらない。
1月21日の出来事。

今日でラスト

年明けまで授業が残っていたのはZ大だけ。病み上がりなので感想を書いてもらうような喋らなくてもいい授業とした。単位が危ないとみた学生が多く、なかなかの盛況。山の中にある不便な学校だが景色の良さは抜群。冬はとくに空が澄んでいる。男子トイレの扉のいたずらが美大らしくて微笑ましい。
そうこうしていうちに辺りには夕闇が。駅までの送迎バスは満員だった。
さて、これから2週間で400人のレポート採点、成績処理。1年のまとめは辛いものだ。
それが終われば2ヶ月半の完全フリータイム。でも収入もゼロなので困ったもの。宮勤めは辛くても恵まれていたと、しみじみ痛感。
1月17日の出来事。

久しぶりの


更新となってしまいました。先週の木曜日に喉が痛いなって思っていたら、帰宅したら腰が抜けるような虚脱感と寒気。体温は38.8度!急いでまだ空いていた街の医院へ。症状を言ったらすぐに隔離。再び検温の後、鼻の粘膜を綿棒で擦り取りインフルエンザ検査。結果はシロ、なれど新型は潜伏期間があるから解らぬということでお薬処方。引き初めだったからか2時間で平熱に。ところが筋肉痛で眠れない。うんうんうなる毎日。咳もひどく、深い眠りにはつけない。どこかで子どもが騒いでいると思ったら、自分の息の音であった。こんな状態が数日。途中、気を煩わす事態が発生。これが精神的に追い打ちをかけ、ますます不眠状態に。それでも昼間小刻みに寝てるので体力はある方。腹はちゃんと減る。明日はZ大の今年度最終授業。栄養をつけるべく武蔵野うどんを食べに行く。讃岐とは正反対に喉ごしがよろしくないというか素朴そのもの。温かい肉汁で食べるのが武蔵野流。どこの町内にも団子屋とうどん屋は必ず見つかる。消化が良くすぐに栄養になりそう。
明日は頑張らねば。1月16日の出来事。

2011年1月11日火曜日

武蔵野の冬


論文を書き終え、のんびり過ごした一日。農道のポルシェ君は残念ながら馬小屋に入らず、外で夜を明かすことに。アルファオンリーの看板は虚しく、ミニカーが鎮座する異様な光景。
昼間は風もなく、暖かになったのでモンキー君でお散歩。裏通りの地道には落ち葉が敷き詰められている。ローギアでトコトコ、人が歩く速さほどで進む。昨年までは年明けは地獄の忙しさだったことなど、すっかり忘れてあちこちで用を足す。帰ってPCを開けたら卒業文集への寄稿催促。しまった、また現実に引き戻されてしまった。

残念!初乗りはならず

1月9日は楽しみにしていた新春レース。館山からの助っ人を迎えに久里浜フェリーターミナルまでお迎え。久々に目覚ましをかけて暗い内に出ーぱぁつ!何と予定時刻の30分前に久里浜に到着。売店でおにぎりと味噌汁の朝ご飯を食べながら船を待つ。丁度定時に接岸。そのままレース本部へ行くと、あまり人がいない。何と!強風のためレース中止。壺へ向い出港準備取りやめ。湾内でも時折凄い烈風が吹く。中止が正解と納得。館山の助っ人を送りにまた久里浜へ。金田湾は絶好のセーリング日和。一体どうなってるの?壺へ戻って仲間うちのカニ鍋の会へ合流。しかし途中でレースのパーティーへ、戻って来たらカニは、もう残り少なくなっていた。何となく欲求不満のまま睡眠モードへ。

翌朝は夜中に目覚めたので、寒い中船の片付け。そのまま車を出す。
夜の海を眺めながら快適にドライブ。逗子のトンネルを越えると白いものがちらほら。鎌倉の滑川交差点でガス欠寸なのに気づいた。不景気ゆえか深夜営業のスタンドは少なく焦ったが、何とか見つけて給油。
帰りは下道をとことこ。途中30分ほどの仮眠をいれても3時間で帰宅。渋滞が無いというのは素晴らしい。まだ暗い内に到着。再度寝る。
2時間寝て起床。切羽詰まった論文書きに仕方なく挑戦。2時間で書き終える。やってみれば大したことはないのだが、書くまでのコンセプト作りに手間取った。ふう、一段落。

2011年1月7日金曜日

仕事初め?


と言っても定職が在るわけで無し、ボランティア仕事。ヨットOB会の案内状発送事務をした。外部のゲスト向けに内容とレイアウトを変更、返信葉書を作成し封筒に入れ切手を貼り投函。たったそれだけのことである。でも、直ぐに実行。ここが大切である。県境にある我が家の近くには2カ所のポストがある。埼玉側は日に2回のみの回収、それも午前中だけ。そこから徒歩1分の東京都側では日に5回の回収。サービスは大きく異なる。もちろん東京都のポストに投函。明日には着くであろう。
その後、コンビニへコピーを取りに行くためにお散歩。一番近いコンビニでも片道8分ほどかかる。途中高速道路を渡って行く。何やら真新しい看板。先日の新聞記事にもなった投げ込み現場のすぐそばの高架橋。自転車も渡れない狭さなのだが、さすがに対応は素早い。高速もおちおち走れぬ世の中になったか。
夜は仲間のヨットの会合兼新年会。またしても都心へ出る。気を遣わずにすむ仲間達なので、楽しく会合は終了。本当に仲間の有り難さを実感した。
さて、これからが本業の仕事初め。やっと論文作成に取りかかる。
明日までに終えねば新春レース参加も危うい。頑張らねば。

2011年1月6日木曜日

満ぱん

満ぱんというのは辞書によれば誤用だそうだが、昨日は本当に目一杯だった。久しぶりに暗いうちに起床。満員電車で都心へ。まずは2番目の年金請求へ。私学財団の事務所はさすがに立派。細かい書類のミスを指摘され、その場で修正。無事に受け付けて貰えた。年金額は22万円ほど。6年間働いてこの程度である。月にすると2万円に満たないがそれでも有難い。しかし、ここでも手続きに2ヶ月以上かかると言われた。6月が初支給では困った困った。3番目の手続き先は、以前の勤め先。まだ新学期が始まっていないためか、のどかな雰囲気だった。落ち葉掃きの方も人が代わり辞めて時間が経ったことを実感。事務の方はとても丁重で親切だった。ここが最大の支給先なのだが金額は後ほど決定書が郵送されるまでお楽しみ。1ヶ月で手続きは済みますよという言葉を信じることとしよう。もしも、それが実現すれば4月支給である。金欠状態から脱することを信じよう。
正門の前の馴染みの喫茶室でコーフィーを1杯。マスターと色々お話したが、先行きはあまり芳しく無い様子。いつまでもお店を続けて欲しいものだ。途中千円床屋に寄って、新宿へ。Z大の公式新年会。美味しい物を色々戴く。それで終われば良かったのだが、仲間がいるとそうもいかない。駅ですんなりと電車には乗れなかった。最近酒は控えているが、それでも付き合いなので、何も飲まない訳にはいかない。割り勘損をしていた人の気持ちが最近やっと解るようになってきた。


もう、いい加減疲れて帰宅したかったが本日のラストはヨットOB会の会合。地下鉄で銀座へ出る。正月休みから半分しか脱していないような街だった。外国の方の観光客が大型バスで有名店へ乗り付けていた。
会合は中身も濃く終了。この先2年間は気が重くなる毎日になりそう。
引けた後の飲み会は、もう気分的に限界なので、ご遠慮した。帰りの地下鉄では車両点検の影響やらとかで9分間のトンネル内停車。疲れがどっと出てしまった。
論文に取りかかるのはいつになるやら。

2011年1月4日火曜日

年金事務所

いよいよ年金受給資格取得の日。正月休みは事実上1週間の事務停滞を引き起こすので、どこへ行っても窓口は混雑。誕生日で期限が切れる車の免許証更新もしかりである。市役所は8時24分に着いたが、窓口は開いていた。それでも2番目であったが住民票はすんなりと取れた。しかし、手数料は、きっちりと請求された。本籍のある新宿区では年金用の各種書類は全て発行料が無料。東京都との格差をはっきりと見せられた気がした。市役所へ行ったついでに市長への手紙に投書。武蔵野線N駅の手前にあった駐輪場が定期専用となってしまった。以前は一日預かりもあり、その陳情。人件費節約の波を受けたのだろう、大きな国道を跨ぐ歩道橋を越えなければ駅前の駐輪場に行き着かない。歩道橋からはJ学園の学生さんが大挙して降りてくる。そこを自転車を押しながら越えるのは一苦労である。さて、市長から返事は来るのか。楽しみである。
車で30分ほどのところにある年金事務所へ。ローン屋さんなどが入る雑居ビルのワンフロアにある。銀行やケイタイショップのように愛想の良い受付の方はいたが、待合い室にはかなりの人数が。一同前を向いてテレビを大人しく見ている。こんなこともあろうかと事前予約を入れておいたので待ち時間は数分で済んだ。それでも待つのは退屈なので待合い室にあった血圧計で血圧を測定。やや下降していてホッとしたが、血圧計がテレビの隣にあったので、そこにいる全員に血圧を披露してしまった。
約束の時間より数分遅れで係員登場。何度も遅れて済みませんと言っていた。よほど苦情が怖いのだろう。10分程度で手続き終了。2月分から2ヶ月ごとにまとめて口座振り込みが始まる予定。年に13万円なり。これは最初に会社勤めをしていた分。6年務めて36万ぐらい厚生年金料を支払っていたので、絶対3年以上生きなくては元がとれない。こういうことは生きる原動力となる。最後にいつごろ支払いが始まるか聞いたら年金決定書が出てから1〜2ヶ月後、5月か6月でしょうとのこと。1〜2ヶ月は随分幅があるとちょっと不満たらしく言ったら、約50日ですと。きっと苦情対策マニュアルがあるに違いない。あと2カ所、私学共済と元勤務校は、今日行ってもどうせご用始めで一杯やってる可能性があるので明日にすることにした。念のため2カ所に予約電話を入れ年金手続き初日は終了。結構気を遣い疲労困憊。またまた論文書きが日延べされた。

2011年1月3日月曜日

お正月

例年のように紅白も見ず、除夜の鐘も聞かず、というより田舎住まいなので聞こえないのだが、普通に寝て年越しをした。寒かったからか暴走族もいなかった、あるいは爆睡していたのか。正月と言えば昨年までは年賀状の束に悩まされていたのだが、今年書いたのは200枚程度。丁度半分ぐらいに減った。ちょっと気が抜け淋しい気もする。人間とは勝手なものである。
さて、3ヶ日に小論文を仕上げるつもりが、いつもの怠け癖が出て一向に進まぬ。3ヶ日のうち半日は年金請求手続き書類書きに要した。何しろ3カ所に出さなくてはいかず、それぞれ必要書類が微妙に異なるのだ。

明日は御用始め。朝一番で市役所へ。その後年金事務所へ回る。予約が取れるので予約済み。車で30分以上かかる町まで行かねばならぬ。あとの2カ所は都内なのだが、どうせ明日は新年挨拶で半ドンだろうから、明後日に行くことに。その日はZ大の公式新年会、ヨットOB会理事会もあり、都内を一日中駆け回らねばならない。
論文はいつ書くのか。またしても締め切りギリギリになりそう。

2011年1月1日土曜日

大晦日

みぞれがちらついた夜、この先が心配になってミニカーの靴を履き替え。前輪は難なく終了。ところが後ろが厄介だった。ジャッキを当てる場所がそもそも見つからぬ。ガレージジャッキが不安だったので車載ジャッキで補助。うまく車体は上がったが、ナットを緩めてもホイールが外れぬ。ドラムに張り付いてしまったよう。何度か試みたがうまくいかぬのでJAFを呼ぶことに。待つこと数十分。頼もしい車が到着。5分で作業完了。ナットの締め方など、様々なアドバイスを頂いた。会員証を見せたら、この市で一番の古参会員とかで敬礼されてしまった。ゴールドカードを持っているのは認識していたが、創立時に入会したのは知らなかった。永年で表彰されそうなのは、これだけである。

年末ジャンボは案の定外れ、いや2枚購入で300円当たったので良しとするか。紅白は見ないので早起きして初詣でも行こうかなあ?