名古屋を後にして、今はもう誰も知人すらいない故郷へ。村の名前を発見。ここは荒川修作の手になる養老天地反転地。すべての地面がうねっていて人間の眠っている感覚に訴えている。立っていることが苦痛なのは身体感覚が退化している証拠。しばらくいるとやがて不思議な心地よさが。人間が本来持つ潜在能力はすごい。バリアフリーとは対極にあって、まだまだ鍛えなくてはいけない。そう考えると斜めで揺れるヨットに乗るのも、まんざら悪いコトでは無いと思えるようになった。
養老へ行ったもう一つの目的は滝の水が酒になるのを願ってではない。
憧れのビート君のレストア工場探訪である。それなりに綺麗な工房は
納得できたが、もうひとつ納得できないのは、そのお値段である。
バンクーバーで見た、さりげない普段着のビートはもう存在しないのか?
0 件のコメント:
コメントを投稿