2011年3月30日水曜日

良く働いて

昨日は頭脳労働に明け暮れ疲れ果てたので、今朝は起き抜けに肉体労働を。といっても「てっぱん」を見ながら朝ご飯なので決して早起きしているわけではないが。とにかく、テレビを見終わったら、外に出て椅子の修復。屋外で使っているのでニスの部分が随分痛んでいたのが気になっていたのだ。暖かい陽ざしに誘われ屋外で作業。背板の部分はいいのだが、座るところは、もう重症。何度かやって濃い色に着色するしかないのだろうが、今日は手持ちの材料で補修。塗り重ねる事4回。背板はバリッと仕上がったが座面は今一つ。今後の課題とした。早く船にも行ってニス塗りをしたいのだが、なかなか海行く時間が取れずにいる。

時間のこともあるが、何となく海へ行って遊ぶ気にまだなれないというのが本音か。午後は保育園の書類づくりの後半をした。昨日の産みの苦しみに比べれば、さほどの苦労もなく4月分の書類は作り終えメールで送信。昔と違って郵便局へ駆け込んだりしないので、あっけない終わり方。

今日はたくさん働いたので、明るい内に風呂に入ってのんびりとするか。

2011年3月29日火曜日

ツケは回って

今日は一歩も家を出ず、自粛の日。と言っても震災を考えてというような殊勝な事では無い。溜まっていた仕事の締め切り日に追いまくられているのだ。4月からの仕事は、そのほとんどが初のジャンル。まあ、頂いたお仕事はお断りしない事にしたので、何とか挑戦。それにしても未知のことを偉そうに教えるのは度胸もいるが、実務的な準備も必要。大人ならば、ある程度の話術で誤魔化せもするが、相手が純なお子様となるとそうもいかない。一番労力を要したのがH市の私立保育園の造形指導員の仕事。何しろ一年間、計24回の指導内容を書面化しなければならない。集中してやれば午前中で片付くと高をくくっていたが、作業は難航。日が暮れるころにやっと何とか格好がついた。それでも分量的には半分をこなしただけだが、期日前に完成。正直ほっとした。やれやれ。あと3日で今年度は終了。まだまだ復興には時間が掛かる日本だろうが、新学期の足音は着実に近づいている。まだまだ心の準備が出来ずにいる今日この頃である。

2011年3月27日日曜日

気分を換えて

海へ行かない週末は、何となく調子がおかしい。船に行かないのは地震の事もあるけど、予算節減のおり、3月が保険不担保のゆえでもある。今日は溜まっている書類作成は諦め、朝から大工仕事。もとより大した内容ではなかったが、電動工具の威力は凄い。あっと言う間に作業完了。風もそれほど冷たくなく、外での作業が心地よい。昼は、大家仕事で、またまた都心へ。節電の影響か、放射能への心配か、いつになく道は空いていた。折角都心に出たので、美術館でのワークショップに参加。イベント自粛の影響で中止になったワークショップを内々でやるというのでゲスト参加という次第。「卵つと」という山形の伝統技法を教わった。理屈は解るが、なかなかからだが付いていかぬ。一応卵は藁の中に納まったが、出来映えは見られたものではなかった。でも、手仕事は気分転換に最適。ある時間だけでも集中出来るのはいいことだ。
さて、3月も残すところ、あと4日。
明日から書類作成の追い込みに入らねば。

2011年3月26日土曜日

落ち着かない

被害にあわれた方のことを考えれば何ということもないのだろうが、日々の生活は、それなりに緊張する。やはり計画停電が一番大きな要素。昨晩は、やるというので明るい内に食事をしたものの、PCも途中で落ちるのが嫌だし、風呂の途中でお湯が出なくなるのも困るといった具合で昼間はいいのだが、夜は落ち着いて何事もできない。何となく寝不足が続く。今日は都心へ。工事が終わった貸し屋の引き渡しだった。早めに着いたので、隣駅のスパゲッティー屋Hさんへ。久しぶりの味で美味しかったが、昼食時で満席。しばし、外で順番待ち、放射能も怖いが、花粉も深刻。目と鼻がぐずぐず。散歩は適度な距離で8000歩を稼いだ。ここ都心では防災対策が随分進んでいるように思えた。それに引き換え、埼玉県は大丈夫なのだろうか。

スーパーにも物が無いのは相変わらず。店内も薄暗い。駐車場のゲートが開きっ放しなのは、停電対策らしい。正直者の私は、この前はゲートが開いているのにも拘わらず料金を支払ってしまった。どこかで、その見返りはあるだろう。
Z大の新学期が気になっていたが、授業開始はGW空けまで延期された。4月1週目から行う専門学校と対照的だ。授業はどうやって消化するのか?それよりも当てにしていた4月の給料も無しということになるのが痛い。困った困った。

2011年3月24日木曜日

自粛なのか

ガソリンスタンドの行列はようやく無くなったが、スタンドは八割程度が売り切れ。数少ない開業店で給油。それでも行列が無くなったのは、ほぼみんな満タンになったのだろうか。この時機、自宅と借家の両方を改装していたが、工事の遅れはすべてガソリンが入手できない故の遅れ。物流が止まり職人さんが動けなかったのだ。普段あまり車を使わぬ人も不安に駆られてスタンドに並んだのだろう。今日は延び延びになっていた墓参りのために都心へ。電車の運行が不安定なので、途中駅までは車で。そこからは地下鉄が通っているので通常より時間はかかるが確実に都心まで行ける。彼岸にも拘わらず墓地は空いていた。古い墓石は崩れているものもあったが、そう数は多くなかった。

墓参りを済ませて、おばあちゃんの原宿へ。いつもならば人が溢れているのに、この静けさ。商店街の売り上げは相当落ち込んでいるだろう。
世の中全体に自粛モードに入った模様。不景気風が加速せねばいいが。

翌朝、電話があり、GWに予定されていたビッグレースが延期になったとのこと。こういう状態だから仕方がないとはいえ、色々と準備していたので残念。中止ではないということなので、また来年仕切直すのだろうか。

今夜は、やるやると言っていて実はまだ1回も経験していない計画停電。どうやら本当にやるらしい。
さて、どうなりますことか。

新学期の始まりも定かではないので、準備にも身が入らない。そろそろ本腰をいれなくては始まった時に慌ててしまうのは解っているのだが。

2011年3月21日月曜日

平常心で


トイレットペーパーがやっと手に入り一安心。一人一個だというのに、数個レジに持ち込み注意されていた人がいた。買いだめは本当に困ったものだ。ガソリンスタンド難民も相変わらず。給油待ち渋滞はもの凄い。車を使わなくても生活できる都会はいいが、こちらはコンビニまでも車でなくてはいけぬ。ある程度は生活必需機械である。外出する時はスタンドがある道を避け、できるだけ車線の多い幹線道路を行くことに。それでもスタンド前を抜けるのは大変。なかなか落ち着かなくて仕事が手に付かぬが、あと2週間で新学期。今のうちに出来ることをしておかねば。ずっと、放っておいた講演のテープ起こしをぼちぼち始めるとするか。テレビの番組も通常のプログラムへ戻りつつあるようだ。3月20日の出来事。

2011年3月19日土曜日

やっと店子さんが

貸し屋として募集を掛けている都心の家が一向に借り手が付かない。改装だけは順調に進んで借金のみが発生して頭が痛い。今日は工事の状況をチェックに上京。渋滞を心配して早起きして出かけた。案の定渋滞箇所は街道筋のガソリンスタンド。うまく避けながら予定より早く到着したので、遅めの朝食を。某国立文化施設の脇には絶品の立ち食い蕎麦屋が。注文を受けてから天麩羅を揚げる立ち食い蕎麦屋は知る限りここだけ。多分同年代と思われる親父さんも元気そうだった。ひっきり無しに客が入れ替わる。
ここから貸し屋までは車で数分。小さな街道には面白い光景が、街路樹がガードレールをくわえてしまっているのだ。がぶっ!
貸し屋の改修工事は地震の影響で数日の遅れが発生とのこと。
面白かった出来事。ポルシェ君で乗り付けたら、工事の方に「駐める場所は無いよ」と一喝されてしまった。「ゴミの回収?」って聞かれたので、「大家です」と答えたら態度急変。作業を中断し車を入れるスペースを作ってくれた。私の風体がそう見せるのだろうか。職業に貴賤は無いといいながらも力関係はあるのだなと思った。
細かい修正箇所を数点お願いし、お仕事の邪魔をせぬように早々に退散した。

夕方になって嬉しい知らせ。今日の午後お客さんが来て、一発で気に入って借り入れ申し込みをしたそう。先日の帰宅難民の影響か、都心の物件の人気が急上昇したらしい。私が大家ですなどと挨拶するタイミングは、すれ違いで無かった。考えるまでもなく、居合わせなくて良かったのだと自分に言い聞かせた。これで借金返済の目処が立つといいのだが。

非常事態

香港在住の息子から電話。何でも結構な人数が日本から避難に押し寄せているとか。放射能を恐れての事らしい。勤め先のホテルは満室状態とか。香港へ非難に来ないかという誘いだったが、厚意は有難いが、金欠状態につき無理と返答。当面生活には困っていないが、本日は灯油とガソリンを入手した。灯油は販売停止のお店で10Lだけ分けてもらった。これでしばらくは暖房も困らない。ポルシェ君は動き回っているのでタンクが半量を切ったので、給油待ちの列に並ぶことに。給油の列で必ず起こるのが割り込み。経験的に言えば、割り込むドライバーの90%以上が中年の女性。よっぽど面の皮が厚いとみえる。堂々と臆せず割り込む勇気は私には無い。スタンドは2000円均一給油。スタンドに入ってしまえば能率は良い。基本的に交通量は少ないのだが、渋滞の原因は例外なく給油渋滞。片側1車線の道は避けた方が良い。路線バスとその利用者が可愛そう。この渋滞はいつまで続くのか。3月18日の出来事。

2011年3月18日金曜日

卒業式



次々と悲惨なニュースが入ってくる。特に釜石は仕事で3回行き、出前授業をしたことがあるので、見覚えがある風景が。学校はすべて高台に建てられ、過去にも津波の被害は少なからずあったので防潮板などの設備はあったのだが、今回のは規模が違う。皆無事に避難が済んでいればいいのだが。さて、今日は最後の勤務校の卒業式。今、関係しいる大学などは全て卒業式は中止になったが、ここはやるらしい。電車が動いている駅まで何とかして出れば、行き着けそうなので、早起きして、出かけることに。電車はいつもの倍近い時間は掛かったが無事に到着。六年生と保護者だけの小さな卒業式となった。卒業生を教えたのは、この子達が三,四年生の頃だが、みな大きく成長していた。それにひきかえこちらはといつも思ってしまう。今年で退職する昔の仲間と会食でもするつもりだったが、こんな事態なのでお流れに。ささやかな記念品のみ手渡すことができた。
帰り際には、お世話になった写真屋さんと喉を潤して、しばし懇談。
帰りの電車も止まり止まりで何倍も時間がかかって帰宅。予定停電地区に毎日のように引っかかているので、暗くなる前に食事をして節電。トイレットペーパーなど買い置きしないので、喫茶店のトイレに鎮座するペーパーが神々しく見えた。
3月16日の出来事

それでも海へ

土曜日は道路が開通していなかったので自宅で待機。日曜日は高速も通じたということで、予定されていた整備をしに海へ。木更津在住のM氏が早朝から仕事を始めていたので、急遽用意をして海へ。車を出してみると、どのスタンドもガソリンが売り切れ。幸運にも裏道のスタンドで給油完了。高速に乗る前に自衛隊の駐屯地を通るが救援物資を満載したトラックが何台も通って行った。
高速は渋滞も無く、すんなり通過。あきらかにツーリングへ行くと思われるバイク軍団に遭遇。まあ、こちらも似たようなものなので、こんな事をしてていいのかという思いもあったが、やりかけの整備だったので、頑張って終わらせることに。夕方までには終了。M氏は帰宅したが、私はライフラフトの整備を工場へ持ち込む為に1泊。人っ子一人いないハーバーは不気味であった。横須賀にあるラフトの工場は通常営業。ポルシェ君の荷室は広いので楽々運搬できた。ラフト工場の近くのスタンドは順番待ちの列が短かったので、給油の為に順番待ち。約40分で無事に給油できた。これで自宅まで問題なく帰れるだろう。帰りにマリンショップに立ち寄り国際VHF無線機を購入。2万円を切る価格にびっくり。規制緩和さまさまである。
3月13日から14日にかけての出来事。

運命の日

自転車が復活したので、今日はポスティングのバイトに。前回は車で動いたが、本日は自転車で回る作戦。さすが電動サイクル、急坂も一度も降りずに上がりきった。文明の利器は凄い。車にはね飛ばされるのが怖いので裏道を通る。なにやら半スクラップ化した欧州車がきちんと整列して駐まっていた。自転車を更に進めると割と大きな自動車工房が。ボルボ車メインのクラシックカー屋さんだった。近隣には凝った自動車屋さんが多く散歩が楽しい。
さて、そうこうしているうちにポスティング担当地域に。公園にあるトイレ場所を確認後、北側から東西方向へ舐めるように投函を始める。ポストの形は様々だが、すんなり投函できるものはほとんど無い。一度扉を押し開け、そこにチラシを滑り込ませる。この2アクションを片手でやるとうまくいかぬ。左手で扉を押し、出来た隙間に右手でチラシを入れる。このタイミングが難しく、ちょっとドジってしまうと結構大きな音がしてびくびくしてしまう。アメリカンスタイルのかまぼこ型は扉を開ける音が大きく苦手。犬に吠えられるのはまだいいが、在宅している方からは非難の目で見られたり、断られたり、いずれにせよ歓迎されてないのが良くわかる。教員生活が長かったわけだが、教職は基本的には感謝の言葉をいただく職業。なかなか無いものである。ポスティングに関していえば、一番が郵便屋さん、次が新聞屋さん、あとのチラシ配りは嫌われ者である。有害なチラシでないだけまだましと考えようか。
あれこれあったたが本日は300枚を越える投函をすませた頃、その時はやってきた。ちょっと滑りこませ難いポストで入りそうで入らない形をしていた。門前での滞在時間が長いとはらはらするものだ。やっとチラシを滑り込ませたポストが気のせいか震えているように思えた。こちらの心理状況を反映しているようだと思っていたら、次に、ポスト横の植木がざわざわ。
そして大きな横揺れ。隣の家に食材を届けていた生協トラックのドライバーと顔を見合わせ
「地震だああ!」頭上をみれば電柱、変圧器が大きく揺れている。手に手をとって向い側の駐車場へ。二人でうずくまっているが、なかなか揺れは収まらない。近くのマンションや車から警報が鳴り響いていた。
やがて揺れは収まったので、生協のお兄さんと言葉を交わし、業務復帰。途中で小学校脇を通ったら、集団下校の最中。学校現場は大変だろう。道には何人も人が出てきて立ち話。誰も出てこない家は不在だろうから、その家だけポスティングを続け、早めにバイトを切り上げた。
今晩は都心で会合があったが、武蔵野線は不通。西武線の駅まで行ったが再開の目処は立たないとのこと。ケイタイも通じず、公衆電話に並んで夜の会の中止を連絡。
電車が全て止まってしまったので道路は大混雑。
まだ、この日はそれほどの大事とは思っていなかったが、ケイタイが通じたら香港にいる息子から電話。海外では大変な事態と報道されているらしい。

余震も結構あって、夜中に何度も目が覚めてしまった。
3月11日の出来事。

酷なミーティング

今日はヨットOB会の会合。新体制になって初回ということで、時間で追い出されない場所、そう先輩のMC号船上での会合と相成った。O先輩のご厚意に感謝、感謝。お腹が空くだろうと軽食を手配。前から狙っていた木挽町のコロッケ屋さんへ。ハムカツサンドやコロッケサンドが飛ぶように売れていた。数個をゲット。遅い昼食を食べる為に築地の名店、先輩のC氏経営のお店で焼き鳥丼。と思っていたらC氏が前掛けを外して職場放棄?一緒に洋食屋へ。ここで勧められたのがボリューム満点の特製カツカレー。何でもカツカレー発祥の店とか。美味しかったが、節制している腹には重かった。
この新富町界隈には小さな名店がずらり、中でも目を引いたのがカウンターステーキの店K
なんでもあの有名な映画監督と関係がある模様。古い建物の佇まいは素適だったが、メニューにお値段が書かれていなかったので、とても入る気にはなれない。後日、ここの常連である写真やさんMさんに聞いたところ、ランチで2800円とか。夜の値段は怖くて聞かなかった。
昼食後、C先輩に案内していただき業者しか入れぬ安売り店で夜の会合のつまみや飲み物を調達。さすがに業者向けで信じられない安さだった。少し先輩のお仕事の運搬もお手伝し、銀座まで配達業務。

MC船上では19時より宴会がらみの会合がスタート。時間無制限はいいのだが、会議というより口論に近く疲れ果てた。寒かったのでストーブを焚いたが、注意されていた酸欠が発生。22時をもって退散。アルコール臭いのプンプンするゴミを持ち帰り、くろウサギ号の中は気持ちが悪くなるほどの悪臭。今日、飲酒検問で停められたら、一滴も飲んでないのに検挙されそうだった。まあ、無事に到着なれど、花粉症の症状に加え、酸欠で朦朧とした状態。簡易型の酸素吸入器があるので、それを吸って、やっと眠りにつくことができた。翌日はダウン。幸先が決して良いとは言えぬOB会のスタートとなった。3月9日の出来事。

ポルシェ君活躍

どうやっても自転車のギアの不具合が直らない。ネットで買ったので、もって行き場がない。自転車屋さんというのは地域密着の商売が基本なので、飛び込み修理は受け付けてくれないか、または露骨に嫌な顔をされる。メーカーのお客様相談室に掛け合って受けてくれそうな自転車やさんを紹介してもらった。ポルシェ君は大きな荷室なので、楽々荷物を呑み込んでくれた。荷室で揺られること20分、カーナビのお陰、一発で大きな自転車やさんに到着。ちょっと変わった自転車やさんで、仕事は担当ごとにはっきり区別されていて修理担当の方は一人の様子。あー、1時間あれば直りますねと言われたので近くのスーパーで待機。1000円以上の買い物があれば駐車料金は無料。たいがいレジの近くにはレシートが落ちているので、ちょっと拝借。駅前図書館で時間を潰す。2時間ほど待っても連絡が無いので、こちらから問い合わせてみれば、すでに修理は完了。修理代1050円也。どこが悪かったか聞いたが、全部と要領を得ない返事。確かにネット通販は販売上の大きな敵なのは、わかるがつれないものだ。自転車は地元で買えということなのか。並行輸入車を整備しない正規ディーラーのようである。自転車は快調になったので良しとしよう。3月8日の出来事。

現場いろいろ

地震の影響でしばらくさぼっていたブログ更新。今日は月曜日。早起きして久々の満員電車に乗る。文字通り押し潰されそう。毎日こんな電車で出勤している人は、それだけで凄い。今日は4月からの新しいバイト先、H市の保育園見学。先輩が辞めるので、その後任役。幼い子の世界は純粋で微笑ましいが、それだけに洗脳度は高いとみた。自分らしさを少し抑えて普遍的な立場に立つ必要があると思った。
先任の方は実は旧知の仲。一緒に昼飯を食べてあれこれ昔話。保育園は私企業なので、色々と苦労もある模様。これが月2回で通年のバイトとなる。1回は1時間の指導だが、それ以前に1年間の細かい計画を立案するのが膨大な仕事。ちょっと気が重い。

夕方は都心のOT女子大へ。学食はファミレスより格上の、ランチルームというに相応しい洒落たものだった。キャンパスは立派だが、男性トイレが少ないのは、どこの女子大にも共通する欠点。ここでは、同じく4月から新規に始まるバイトに関連した研究会に出席。ホリスティック教育という私にとっては新分野を教えるので、こういった研究会での仕込みが重要となる。研究会は二時間半みっちりと行われ、終わったら腹ぺこに。あまりの寒さに駅に行く途中の蕎麦屋に飛び込み熱燗とかき玉蕎麦で暖を取る。都心の蕎麦屋は仕舞いが遅くて助かった。
3月7日の出来事。

2011年3月6日日曜日

今日のお散歩800円なり

今日から始まる肉体バイト。やや二日酔い気味だったが、契約をしたので行かねばなるまい。チラシが送付されてきた時がバイトの始まり。あとはマイペースで任務を遂行すればよい。ポスティングとは聞こえはいいが、早い話がちらし配り。駅前でティッシュを配るのも恥ずかしいそうだが、人の家のポストにちらしを入れるのも結構勇気がいる。入れやすいのは道路に面していて、チラシを折らずに放り込める幅広タイプのポスト。ストンという音は心地よい。アメリカ風のかまぼこ型のやつは扉を開けるのに大きな音がして精神衛生上あまりよろしくない。家が奥まっていたり、階段を数段上るところにあるポストは敷地内に家宅侵入するようで気が引ける。夕方の1時間30分ほどで、まだ袋の中のチラシ全部は捌けていなかったがおしまいに。夕食の団欒の時刻にポトンと落とす音をたてるのは遠慮した。今日の配布枚数は166枚なり、1枚の配布ギャラは5円なので、800円ちょっとの収入。約五〇〇〇歩のお散歩。歩いてお小遣いになるので良しとしようか。でも今日は暖かかったからいいが、いつもいい時ばかりではない。さて、いつまで続く事やら。とにかくバイト初日は心地よい疲れのうちに終了した。3月6日、日曜日の出来事。

時には多忙なこともある

海へ行かない週末は、ちょっと生活のリズムが狂う。今日はあろうことか会合が3つ重なってしまった。最初は真面目な研修会。二時間たっぷりの講義も眠くはならなかった。やはり必要だと思うと真剣に聞くものだ。一には研修ポイントの獲得、二には来期からの授業の仕込みのため。二つの意義が重ならないと真剣には聞かないかもしれない。ちょっと情けない。研修修了書を頂き2番目の会合へ。すでに会は終了しているはずが、まだ講演中。お祝いを言いたい相手がいたのだが残念ながら
人づてに伝言を依頼したに留まった。3番目は高校のクラス会。ちょっと話題を提供してしまった手前さぼるわけにもいかず、10分程度の遅刻で六本木に到着。すっかり辺りの様子が変わり、お上りさん。一次会で帰宅するつもりが恒例?二次会へ。美味しいワインまでは覚えていたが、地下鉄を乗り継ぎ帰宅。記憶は半分飛んでいる。危ない危ない。

自分で酒量をコントロール出来ず、今に失敗しそう。
しばらく禁酒は無理なので節酒に努めることとしよう。

2011年3月5日土曜日

バイト探しの旅

1年間のリフレッシュ休暇も終わりが近い。総じて言えることは、働かなくては金は貰えぬということ。そして金が乏しいということは人生楽しからずということ。まだ元気なうちは適度に働くのがいいと見つけたり。という訳で、本日は2箇所に面接を受けに出かけた。いずれも武蔵野線周辺。最初は東へ30分ほど乗って専門学校へ。降車駅から数分で到着。校長先生としばし歓談。すでに採用は決まっていたのでなごやかに面接は進んだ。前期後期通しで30コマというのは初めてなので、授業に対する作戦を練らないと大変そう。1年生相手で20人の学生というのが救いである。それにしてもホリスティック教育学という新分野なので何をやったらいいものやら。毎週90分という授業を飽きさせずにやるのは結構大変なことである。
今度は武蔵野線で西へ。乗換駅から私鉄に乗り換えても良かったのだが、時間があったのでお散歩。たった一駅でも歩数を伸ばさねば。風は冷たいがはるの気配があちらこちらに。人参の名産地なのでキャロットシティーと銘打っているので駅前に巨大人参のオブジェがあるのが微笑ましい。面接は10分程度で終了。こちらも採用決定。ただし3ヶ月は試用期間。こちらは肉体労働なのでいつまどもつか心配。3月4日の出来事。

ヨコハマ

今日は久々の遠出。金欠状態だと家でじっとしているに限る。冷蔵庫の中の物だけで数日は生きていけるものだ。まあ、塗装やさんが入っているので家を空けられないということもあったが。外壁を塗装するので窓を全部養生されてしまい閉じ込められた気持ちにもなったので、ヨコハマで今日から始まるボートショーへお出かけ。副都心線が出来たおかげで乗り換え1回のみで会場へ到着。初日、平日ということもあって大した混雑ではなかった。国際VHF無線を中心に見て回った。無線機は概ね3万円を切る低価格に横並びなのだが、問題はアンテナである。パワーボートは取り付け場所に困らないが、ヨットの場合はそうもいかない。横倒しになったり、海水で押し流されたり条件が悪い。さらに無線局の申請問題がまだ諸説あり、定かではない。本当はVHF無線有りの割引を受けてヨット保険を掛けたので早々に購入しなくてはいけないのだが、しばらく様子を見ることにした。お役所と業者と色々ごちゃごちゃするのは我が国のいつものことなのだろうか。毎年減っているセーリングボートが更に数を減らしていたのは残念。今に釣り人の為のショーになりそう。寒いのもあって早々に退散。品川駅に昼間からやっている名門バーがあるというのを思いだし、JR回りで途中下車。カウンターは明るいうちから満席だったので奥のテーブル席へ。つくる行程は見られなかったが昼のマティーニは格別だった。3月3日の出来事。

2011年3月2日水曜日

こちらはプロの塗装屋さん

とうとう3月に突入。無職でのんびりしていられるのもあと一月。年金の初回振り込みをしつこく聞いてみたら、やはり4月15日の予定とか。あと、一月半をどう乗り越えるか。新しいバイト先に申し込みをしておいたが返事は無し。さて、どうなりますか。昨日の豪雨は去り、暖かくはないが、春の兆しも。テクテクお散歩。少しはからだを動かさなくては。家の方は本格的に外壁の塗り替えが始まった。手伝おうかと思ったが、素人が手を出すと余計大変になるらしい。傍観することにした。お陽さまに恵まれ、早く作業が終わるといいのだが。ペンキ屋さんもクシュンクシュンといいながらお仕事をしていた。外での作業には辛い季節だ。
3月2日の出来事。

今日はペンキ屋さん

晴れた週末、久々のセーリングと言いたいところが、今回は船台の塗り替え。一年で相当錆が出ていた。仲間が二名いたので効率良く作業。それでも、なかなかの重労働、花粉症のぐずぐずもあってか辛い辛い。それでも半日ほどで錆の無い綺麗な船台にお化粧替え。乾き待ちにセーリングと思ったが、折からの強風。充電とエンジンを回すことのみに終わった。3月は保険の掛け替えのため、1ヶ月間出航禁止なので少しでも走りたかったが残念。自然は人間の都合に合わせてくれぬ存在であるのは毎度のこと。渋滞を恐れて早めの帰宅をしたが、河津桜見物の渋滞にひっかかってしまった。東京マラソンは既に終了していたので影響はなかった。今日は鼻水が止まらなかった。2月27日の出来事。

オービス対策

ガレージに住人として農道のポルシェ君に加えてサイボーグ化した黒い猛烈ウサギさんが登場。高速道路で煽られ放しのポルシェ君では用がなかったオービス探知機を設置。場所がなくて横向きに取り付けたので、ちゃんと機能するか心配になった。珍しく夜明け前に起きたので、東京サーキットを一周ドライブ。メーター読みでどこまでいったかは差し控えるが、猛烈な加速。弾丸ウサギの名に相応しい。この時代の日本車は凄い、今日のコストダウンとエコ中心の設計では考えられない作品。相当外観はくたびれているが、二度と世に出ぬ猛烈カーなので大事に乗ろうと思った。ただ、窓枠のゴムシールが傷んでひび割れているので、雨漏りが心配。ガラス屋さんへ交換したら幾らかかるか見積もってもらったら、車両価格の半額以上とのこと。雨の日は乗らないことにしよう。晴天専用のGTR君である。2月25日の出来事。