2011年8月30日火曜日

終わっちゃった

「まだ働きたくないなあ」という暑さではあるが、朝晩の風は涼しい。今日から専門学校の授業がスタート。武蔵野線に久しぶりに乗車。学生も、そして私も休みボケが治らなかったが、授業は夏休みの課題発表だったので何とか無事に終了。駅に戻ると陽ざしと草の緑は夏そのもの。この暑さが何とはなしに名残り惜しい。サングラスはまだ必需品なり。
今日は真っ直ぐ帰宅せずに吉祥寺へ。ハモニカ横町あたりもすこしずつ店が変わってしまっていた。お目当ての「へぎ蕎麦」の店は影も形も無い。残念、代わりに古くからあるお店で餃子を食べたが、従業員の方が注文間違いばかりしていた。暑さのせいだけでは無いと思うが。自分の勘定も1000円多く取られたのに気がつき、お店へカムバック。店のお兄さんも直ぐに間違いに気づきやれやれ。有名店も忙しすぎると、うまく回っていかないのかな。
商店街を抜けて、今日の目標はZ大関連の展覧会見学。授業を取っている学生の名も何人か見かけた。作品から授業中と違う一面を発見できて楽しかった。帰りはバスで北上の計画。会場近くのバス停で待っていたら、バスは素通り!どうやら違う会社のバス停だった模様。少し駅方面に戻ってデパート前のバス停を発見。平日なので老人が多い。まあ、自分も予備軍か。明日は市の健康診断で病院へ。一番嫌いな採血、うまくやってくれるかなあ?ドキドキ!


2011年8月29日月曜日

ハードな週末 その2

朝5時に起きてガタガタと音をたて先輩諸氏の眠りを妨げてしまった。今日の通勤は海から保育園へ50kmの道のり。うまく行けば2時間弱の行程と読んでいたが、バイパスはただでさえ混むのに加えて事故渋滞が発生。堪らず抜け道を駆使し2時間半で到着。ゆっくり朝飯を食べる時間がなかったので、ご存知マックの220円コンビ、半年前までは200円だったのになあ。コーフィーも必ず砂糖とミルクの個数を聞いてくるコスト意識、ちょっと興ざめかな。といいながらも早さ、安さには勝てず度々注文。どこで食べても同じ味なのは、外れが無いということだが、どこかわびしいものだ。定番朝定を食べさせる店はめっきりと減ってしまった。


さて、今日の保育は大がかりな肉体労働。大きな建築用の不織紙、つまりプラスティックペーパーにダイナミックなお絵描き。この布もMT氏提供、助かりました。全身で描く水色の波は、なかなか綺麗。子どものエネルギーはそれだけでは収まらない。やがて壁までキャンバスは拡大。全身を使ったボディーペインティングは続く。お時間が来て止むなく活動は終了。まあ、4歳児の体力を考えれば、このぐらいが止めどきか。こちらも昨日までの疲れがあり、救われた感じ。幸いなことにまだ、今日は夏が続いていたので、活動後の水洗い?が苦ではなかった。帰宅してシャワーの後にお昼寝。よだれを垂らすぐらい爆睡してしまった。8月29日の出来事。


またまたハードな週末 その1

展覧会初日は目の回るような忙しさ。写真を撮る暇も無し。おまけに夕方からはゲリラ豪雨。波瀾万丈の幕開けだったが、懐かしい常連さんにも来ていただき嬉しい再会が幾つも。翌土曜日から2泊3日のヨットレース。ヨコハマから三崎への回航は順調に3時間で終えて三崎港へ着岸。その日は何処へも行かず風呂にも入らず湿っぽい船で就寝。翌朝は早朝から潜水士のMT氏到着、さすがに用具もプロ仕様。大型艇も軽く潜って船底はツルツルに。私にもどうですかと用具を渡されそうになったが丁重にご辞退。
レースは、色々なドラマが起こるもの。結果はともかく楽しめた要素が多いレースだった。レース終了後、強行軍でヨコハマへ帰りの回航。潮があり、3時間半を要した。急いで片付け、パーティー出席の為に今度は車で三崎へ。所要時間は約40分なり。ここでも驚愕のドラマが。何となく後味悪く閉会。そのまま2次会へ突入。壺のマンションで撃沈。朝は目覚ましを掛け間違、4時半に皆様を起こしてしまった。平日早朝の油壺湾はいたって静かなもの。まだ台風避難漁船もまばらだった。あと数日で避難漁船で埋め尽くされるだろうに。8月26日から28日に掛けての出来事。



2011年8月26日金曜日

いよいよ明日から

久しぶりの早起き、通勤電車はそれなりに混んでいたので各停でトコトコとご出勤。JRのO駅前、おなじみ1000円床屋で頭も顔もすっきり。早い、安い、そして上手と3拍子揃った床屋だ。お年寄りのために出張散髪もしているみたいだが近所だけだろうなあ。バスに乗って前職場へ。乗る時にスイカで支払ったのに、降りる時にまた支払いそうになってしまった。田舎の後乗りバスにすっかり慣れている証拠。ちょっと苦笑い。都心にある大学は年々構内が整備され綺麗になったが、その分自然は失われ淋しい限り。
展示会場は学外にある元は寮があった場所。近代的な実験住宅はエアコン完備で過ごしやすいが、自然の風は一筋たりとも入らない。少し過ごしてみると何だか落ち着かない。コンピュータに支配された世界は、やはり非人間的な気がする。
ああだ、こうだと言い合いが続きながらも何とか展示終了。さて、明日はどんな懐かしい出会いがあるのだろうか。8月25日の出来事。


2011年8月24日水曜日

夏の終わり

夏の終わりは何処かもの悲しいものだ。ポルシェ号をガレージに入れようと思ったら、珍入車が。可愛らしいシャベルカーだった。ガレージ前が少しスロープになっているので、遊んでいたのだろうか。幼いオーナーは既に家の中で食事でもしているのだろう。置き忘れられた車は石段の上へと置いた。翌朝は買い物へ、まだシャベルカーは動かずにいた。セミの死骸を片付けようと触ったら、奥へと逃げた。気絶していたのか、いずれにせよ、もう飛ぶ元気はなさそうだ。
明日が作品展の搬入日なので、作品追い込みをと思ったが、またぶり返した蒸し暑さを言い訳にだらだらと過ごしてしまった。作品のタイトルを決め、出品準備あれこれ。明日は久しぶりに都心へ行くので、床屋経由で行かねば。少しは早起きするかな。8月24日の出来事。


2011年8月23日火曜日

忙しい毎日

大阪から帰り数時間横になりシャワーを浴びてお出かけ。都心でOB会の発送事務会。昼飯を食べ損ねて会場近くの著名カレー屋へ。鉄道ファンには堪らないだろうが、味は普通のカレー。ちょっと損した感じ。発送事務を2時間で終え、少し打ち合わせ。やっと終わって川崎へ。ここからアクアラインを渡り木更津へ。ヨット仲間のMT氏と合流、モクモクと煙の充満する焼き鳥屋で一杯。その後、お宅で一晩お世話になる。早朝、館山へ。天気が悪いので道は空いたもの。あっという間に到着。こんなに降っていてレースをやるのかなと思っていたらスタート時刻には三々五々集まってきて定時にスタート。
微風予想が段々風が上がり最後は20ノットに。上りの走りが良く2番手でマークを回航、帰りはスピンを揚げるタイミングを迷ったが波の悪いところをかわしてからアップ。一番にスピンが上がったが、後続艇も追い上げてくる、最後はコース取りが悪く抜かれて3着。修正では多分優勝。結果が楽しみ。直ぐに送ってもらい袖ヶ浦から新宿行きのバスに乗る。何と60分で西口へ到着。軽く駅で食事し、帰宅してダウン。
翌、月曜日は保育園開始の日。幼稚園と違って休みがないんだな。子ども達は元気だが、こちらはパワー不足、帰宅するなり二度寝してしまった。ちょっと遊び過ぎの週末。社会復帰に備えねば。8月20日から22日にかけての出来事



夜行バス その3

気分良く電車に乗り難波へ。ここでも銭湯発掘に失敗。ここ数年、急に店を閉めてしまったのだろうか。汗ばむからだで地下鉄へ。途中下車して夜の街へ。大阪の川面に吹く風は爽やか。旧知の居酒屋「25時」へ寄るが店には鍵がかかり店名も外されていた。高齢なので店をたたんだみたい。西の宮の船にはまだ通ってくれているのだろうか。
しかたなく有名店 瀧 へ。カンカン(ジントニック)の旨さは日本一。重みのあるピューターのカップ、厳選されたライム、ビーフィーターのマグナムボトル、動かないけれどジュークボックス、レンガの内装、黒革のジャケットのバーテン、つまみはさっぱりとしたジャーキー、南半球時計。どれをとっても洒落ている。関西人の客だけが気に入らない。関東人のひがみだろうか。1杯で留めれば良かったのにお代わり。お勘定2730円なり、有名になって値上げしてませんか?
結局夕食はデパ地下のイカ焼きと松葉の二度漬け禁止。カツを揚げるおねえちゃんに馴染みの酔い客がシュークリームなど差し入れて庶民的。ハイボール2杯と一通り食べて2300円也。これはお値打ち。
よろよろしながら駅まで歩いて高速バス停へ。トイレを探しうろうろ。やがてバス到着。帰りはプレミアムシートで行きよりも高かったが寝てしまえば同じこと。往きの6300円席で充分だった。爆睡して起きたら新宿。小田急線でYU駅へ。ドラえもんの電車にびっくり。沿線にミュージアムが開設される記念みたい。こうしてバスの旅は終了。8月19日から20日朝にかけての出来事。


夜行バス その2

やって来ました高野山。と言っても麓の街、昔は涼を求めて本当に山の上でやっていたらしいが、冷房完備の幼稚園が会場。すごい参加人数。参加者は現場の幼保の先生ばかりなので変なオヤジは異色中の異色。それでもめげずに授業参観。昔馴染みの方は皆一様に大学教授になっていた。一番会いたかった先輩が先月急逝したと聞いてびっくりやら残念やら。この頃そういう話が多い。自分も気をつけねば。
大御所KT先生の絵画講評などありがたく拝聴。私の考えも、あながち的外れではないことが確認できただけでも成果あり。何となく気分良く会を退席。8月19日の出来事。


夜行バス その1

まだ作品づくりは不本意だが、時間切れ。大阪の研修会へお出かけの時間となった。都心にある友人のビルの駐車場までポルシェ号で出勤。深夜バスまで間があるので新宿で一杯の約束。ところがビルに着いて電話をすると明日じゃなかったの?これだからメールは恐い。やはり生の声で確認せねば。行き場を失い、夕食は最寄り駅、小田急線YUで。友人に教わった蕎麦屋は独身女性向けといった感じ。この土地ならでは、旨かったがそれ相応のお値段。都心には住めない。ふらふらと新宿へ、在るはずの銭湯も見つからず、やむなく映画を観て時間を潰す。シニア料金1000円なり、年齢確認をされたのがちょっと嬉しかった。バスは3列シート、飛行機のビジネス並みのスペース。それでも体を折り曲げて寝るのは辛かった。夢の中でうとうとしているうちに大阪に到着。8月18日から19日の朝にかけての出来事。


2011年8月18日木曜日

ひとまず

丸2日頑張ったが、なかなか制作モードに入る事ができずにタイムアップ。何とか規定の4作品は仕上がった。これから大阪の研修会へお出かけなので髭を剃らなくては。短パンTシャツのお気楽な毎日だったが、人の集まるところへ行くのでそうはいくまい。それにしても暑い、焦げそうな日だ。電車はパスして友人のビルまでポルシェ号でお出かけすることにしよう。大阪往復はコストと時間を考えて深夜バスの旅。果たして体力が持つかな。もう若くはないのだから。来週のレースのことで連絡があった。人の集まりが悪く、エントリー出来るのかどうか不安。とりあえず知り合いにメールを投げてあとは返事待ち。前回の総合優勝がフロックと言われぬようにせねば。

2011年8月17日水曜日

制作開始

取りかかるまでが遅いのは、いつまでたっても治らぬ欠点。さすがに展覧会1週間前となったので重い腰を上げることに。今日は外出ゼロを決めるが、なかなか構想が浮かばない。コラージュコースターが学生にも課した課題なので、同じ作品にチャレンジ。計画性よりも「ひらめき」で勝負。作っている内に面白くなってきた。ミニマムの4枚を作り終えて本日の制作は終了。明日はもう数枚作るかな。夕方恒例のアルコールタイム。この間目医者さんの待合で読んだ雑誌に載っていた「金魚」なるカクテルに挑戦。焼酎に大葉、唐辛子、見た目が金魚鉢というわけ。唐辛子が効いてかなりピリピリする味だったが夏には向いている。お代わりして2杯頂く。明日は夕方から深夜バスで大阪に行くので少し頑張って制作を追い込まねば。8月17日の出来事。


2011年8月16日火曜日

君の瞳に乾杯!

また、いつものように日常がスタート。月末の展覧会に向けて作品制作もせねばならぬが未だエンジンが掛からない。今日は鴨川でお世話になったSKご夫妻へ礼状付きのお菓子を贈った。市のガン検診の申し込みなどをしているうちに一日はあっという間に過ぎていく。夕闇迫ってアルコールタイム、お安いカバ(スペイン流シャンパン)があったので、カサブランカを気取ってシャンパンカクテルを作った。ここで大問題発生!今や角砂糖なる物は店頭から姿を消して、どこを探しても無い。輸入食品で疑似品を見つける。小皿に砂糖を取り、グレナデンシロップを振る。冷たく冷やしたシャンパングラスの底に砂糖を沈め、静かにシャンパンならぬカバを注ぐ。スッーと一筋の泡が立ちのぼる。時の流れが止まる一時。Cheer's looking at you,kids! 邦訳の方がこのカクテルには合っている、けだし名訳。砂糖の甘さはそれほど感じない。見て楽しいカクテル万歳!

後始末

クルージング明けはやることが一杯。船の毛布をもってコインランドリーへ。最近は大型の機械が多く、毛布4枚ぐらい何てことはない。洗濯に30分、乾燥に40分。洗剤も何も準備はいらぬ。平日の昼間というのに結構ランドリーは流行っていた。
今回はレースよりも疲れは少なかったが、目が痛い。目医者に行ってお薬を処方してもらう。さすがに売薬よりも効き目が早い。随分楽になった。
今回はエンジントラブルという、あまり考えないトラブルに遭遇。陸置きなのでエンジン内に潮が溜まり海水が腐り易いのも一因。今までは10年未満で船を買い換えて来たが、今度の船は気に入っているので乗り続けているのでトラブルも起こってくるというもの。飛び入りで乗ってくれたC先輩がエンジンに関してはプロなので的確なアドバイスを貰えて不安なく帰って来られた。終わってみれば、仲間の技量や友情にも支えられた楽しい航海
だった。来年はどこへ行こうかな!?日焼けの跡が早くも懐かしい。

クルージングその4

朝6時30分出港、帰りは潮も悪いので一番の長丁場を覚悟して出港。1時間ほどはエンジンでトコトコ走っていたが、急にエンジンから警告音。鳴り止まないので仕方なくエンジン停止。この時排水が出ているからといって、その水に触ってもみなかった。きっと触れないぐらいの熱湯だったに違いない。オーバーヒートだ。しかもエンジンルームのビルジは汲んだばかりなのに、もう溜まっている。このまま水が入れば沈没か?ライフラフトは置いてきたし、千倉へ戻るか迷ったが、入り口の暗礁地帯をセーリングで抜けるのは大変。潮に戻されながらもセーリング。1時間ほど、ただただ漂っていた。やがて風が吹き始め前進、しかし風は真向かいなのでタックタックで上っていく。そのうちにおかしい事に気がついた。横の景色が全く変わらないのだ。同じところをカニの横走り。これを2時間ほど。僅かに前進しているが、このペースでは日暮れまでには着かないこと必至。ハーバーに夜間入港すると連絡。辛い重苦しい時間が続く。もうすでに午後、そのうちにいい風が吹いてくれることを期待するしかない。そうこうしている内にやっと野島崎が見えてきた。前方2時ぐらいの位置に見えるが、それが3時の位置になったらタックをしようと作戦を練る。沖へ出されていることもあり2時半、2時45分、なかなかなかなか近づかぬ。戻されることを覚悟で、大決断のタックここ一番。気合いを入れてレバーも使わず一気にジブを引き込む。決まった!!やったー野島崎がかわせそう。こうなると元気が出るもの。風は上がるがジェノアで強行突破。ヒールがきついが上で積極的にヒール殺しをするのは私だけ。先輩連はコクピットの内側で黙り。まあ、しょうがないか。そうこうしている内に行きに通った魔の海域に。今度は白波はあったが難なく通過。セールを出せる角度になったので、船は猛烈なスピードで飛んでいく。風は更に上がり22ノット。アビームまで落とせたので時には10ノット越え。本船がやたらに多いが何とかすり抜け、あっという間に三浦半島に近づく。城ヶ島まで来てお迎え要請。スピードが出過ぎて、入港が危ないのでジェノアダウン。またしてもバウマン、スプレーをまともに浴びながら頑張る。最後の壺へのアプローチが最大の難所。ジャイブを避けてタック回り、ここ一番のナビを頑張り無事に入港。お迎えが来るまで辺りを何回か行ったり来たり。あんまりスピードが早くてお迎えの人はびっくりしていた。ハーバーのリフトまで曳航してもらう。日曜日のハーバーは満員でちょっと恥ずかしい。16時30分、10時間の緊張航海が終了。後は全員で大掃除。こうして外房クルージングは多くのドラマの内に幕を閉じた。8月14日の出来事。

クルージングその3

今日は短いレグ。朝はゆっくりと思ったが、SK夫妻が水先案内をしてくれることになり、7時前に出港。朝飯とフルーツまで頂戴してしまった。風弱く、今日はモーターボート状態。3時間も掛からずに千倉に入港。舫いを取ると直ぐに漁協のおネエさんが車でやって来た。船検証と海技免許を持って出頭。必要書類を書かされる。大袈裟なようだが、手続きを踏めばきちんと泊められるいい港。入り口は暗礁があるが、入港を分光で示してくれる灯台があり、それさえ解っていれば危険はない。
しばらく、ぼんやり過ごしていると館山ヨットクラブのTS氏到着。色々と世話を焼いてくれる。夜は仲間のUB夫妻が到着。クルーSさんとC先輩も交えて大BBQ大会となった。K先輩のサザエ屋さんは堂に入ったもの。どこかの屋台でバイトをしているに違いない。
フィナーレは花火大会。規模は大した事はないが、ローカル色一杯の屋台などもあり、夏本番といったところ。この日は民宿で雑魚寝。8月13日の出来事。


クルージングその2

きっかり5時に目が覚めた。ご飯を炊きあげ、お湯を沸かす。5時30分出港、一路南を目指す。久しぶりの朝日を堪能。静かで涼しい海だ。風が弱いので洲崎手前までは機走でドコドコ。朝なので本船の姿もまばらだ。北寄りの風なのでスピンアップを試みるが、波が悪く綺麗にはらまない。諦めてジブに交換。洲崎、布良と波が悪いところが続く。しばらく行くと海が激変。平らな海面の向こうは逆巻く大波地帯。どうやっても逃げられない。右に左に翻弄される、斜めに何とか逃げて事なきを得たが、エンジンなしでは抜けられぬ魔の地帯。魚はたくさんいるのだろう。こんな波に揉まれながらも釣り船は集結している。恐ろしい海は15分ほどで終了。いよいよ太平洋だ!水の碧さが違う。野島崎をかわす頃には南西からの順風が船を押しやる。快走、快走、観音開きで真追い手。8から9ノットの速度で順調に北上。潮にも押されているようだ。予定到着時刻よりも2時間も早く鴨川のマリーナに到着。
この日は悪波はあったが、本当に楽な航海だった。鴨川では3年前に来た時に偶然知り合ったSK夫妻にまたまたお世話になった。リタイア人生は、ご夫妻でヨットライフをエンジョーイ。羨ましい限りだ。入浴の後は涼しい部屋で乾杯。整頓されたアルバムを見ながらこれまでの航海の話をうかがう。日が暮れたのでおいとま。近くの居酒屋で魚を堪能。この日も早く就寝。やはり日中の太陽と潮に焼かれた疲れが、心地よい眠りの世界に引きずり込んでくれる。
またまたエアコンの効く船で爆睡。8月12日の出来事。

クルージングその1

今日から、またまた海上生活がスタート。朝はゆっくりとお出かけ。買い出しがてらK先輩をピックに。環7は思いの外空いていた。お昼の場所に迷ったが、ファミレスでは味気ない。どうしても土地勘の効くところに脚が向く。東横線のGD駅は2個前の職場の近く。高架下の定食屋を探したが、姿も形も無い。どうやら駅の北口に引っ越した模様。店の大きさは以前の半分以下。定食を頼むと、冷や奴、小鉢、おしんこ、味噌汁が付いてくるのは変わりない。店主はとみれば代替わり。若いといっても中年夫婦が仕切っている。おじいさん、おばあさんの絶妙のコンビは、もうリタイアしたらしい。特に昔の店の女将さんは、一口ビールなどを頼むと冷や奴と小鉢を先に出してくれるなどの気遣いに優れていたが、今の若女将は愛想はいいが、そういう機転はきかぬよう。まあ、車なのでお茶で我慢した。鯖の味噌煮込み定食850円なり。味のレベルは保っているので合格か。次はK先輩のご自宅近くの武蔵小山商店街へ。電車は地下に潜り、すっかり近代化。駅ビルで買い出しをすませる。なかなかK氏が来ないので、しびれを切らしてお宅の門前までお出迎え。一路海を目指す。途中、ドライアイスを購入に若干手間取ったが、まだハーバーの営業時間内に到着。軽油補給、水満タン、あれこれ準備をしたら汗だくに。まあ、そんなに危険はないだろうとライフラフトを積むのは省略。軽量アンカーにチェーンだけ加えた。セールもほとんど降ろしすっかりクルージング仕様に。坂を上ると汗をかくので、夕飯を先に。坂の上の彦十で餃子とアジフライ。ビールが旨い、満足満足。船へ下ってシャワーを浴びる。船内はエアコンのお陰で寒いぐらい。うとうとしてたら後発組のO氏とS社長が到着。明日は早出なので早々に就寝。8月11日の出来事。


2011年8月10日水曜日

何でこんなに暑いの!?

ヨットレース疲れから立ち直るのには時間がかかった。無論歳のせいもあるのだが、それにしてもこの尋常ではない暑さ。海の上は、まだ快適だった。唇の腫れは皮膚科の薬でやっとひき、しびしび痛かった眼も目薬が効いたのか楽になった。やっと、お仕事でもと思ったが明日からまた海上生活者。今度は仲間とのクルージングなので、お気楽お気楽。デッキシューズではなく、ビーサンでお出かけ。あまり暑くないといいのだが。また熱低が発生しそうだが、今回も消滅してしまうだろう。2階ベランダの緑のカーテンは立派に役を果たすほど伸びてきた。可愛い瓢箪が2つ、3つ。ゴーヤと違うので食べられないからどうしようかなあ。8月10日の出来事。

2011年8月8日月曜日

トーキョーズカップ

いよいよレースモードに突入。初日はチューニング。まずは上架していた船を降ろす。ベイサイドのクレーンぎりぎりの大きさ。見上げるとでかい!さて、セーリング開始。ジブセール3枚。ジェネカー1枚。スピンネーカー1枚。計5枚を上げ下げ。慣れないバウマンでよろよろに。ジャイブも数回こなすが、まだまだ決まらない。本番は前へ行くことがないから、まあいいでしょう。最後のスピンランでは急に風が上がって大ブローチング。なかなか降りずに焦ってしまった。船は横倒し、岸は近い。簡単に人の力でたぐり寄せられるものではないことを実感。短時間の、しかし充実のテストランを終えたらチーニング開始。マスト関係の調整をする。M氏は結局マストに2回上ることに。ハリヤードの入れ替え時にトラブル発生。2回目のマスト上りは長い滞在時間となった。しかも、夕方のシャワーが容赦なく振り付けた。M氏は上でセミになった気分とのこと。何とか整備も終わり準備は終了。2日目はヨコハマから三崎への回航。

三崎までは快適な夏のクルージング。快調すぎて少し遠回りして入港。夜は観光旅館でお休み。素泊まりでも信じられない値段を取られたが
寒いぐらいの室温と蚊のいない環境に小さな投資をしたと思う事にしよう。
3日目。いよいよレーススタート。早朝5時から買い出し。6時出港。スタート海面は悪いうねりに翻弄される。風は行き先の大島から吹いている。早くもセールアップとタックのテーリングで息切れ。こんなんで無事に着くのかなあ?ちょっと心配。助っ人のオーストラリア人Sはさすがにプロフェッショナル。スタート前の駆け引きがうまい。クリアースタート。ジブを引き込むのが追いつかない。インインインと連呼される。ふう、ふう。ちょっと吹くと辛いなあ。5分で一歩前に出て行く艇速!徐々に差を開けていく。ライバルがいたのは最初の30分のみで、後は孤独な闘い。でも、コース引きを間違えたら終わり気は抜けない。ファーストフォームして当たり前。あわよくば修正でも勝たねば。潮と風の比べっこで色々と作戦は立てるが、とにかく早い船だ。7ノットを下回ることは、ほとんどなく実走50マイルを6時間20分で走りきった。大島は夏の色、岡田から風早、乳が崎の風景は見事だったが、もちろんカメラを取り出す余裕などない。少しでもヒールを殺す為に上のデッキに座りぱなっし。薄い長ズボンだったので尻が痛くてしょうがない。タックの時だけコクピットに戻るが、そこでもウインチ回しの大仕事が待っている。軽風ならばいいが、少し吹いてくるとやはり大変。足腰ともにガタガタ。千波崎が見えたらフリーランの用意。ハイカットのジブに交換。ここでセールを中から引っ張り出してくるのだが、ヒール殺しが重要なので、一人でやるようにSに指示される。ふうふう、揺れる斜めの世界に入り重たいセールをずるずるとひっぱり上げる。ヨットは辛いスポーツだなと改めて実感。ジブ交換でトラブル発生するもSの神業で何とか解消。すでに船は差木地へ。残り1マイルなのにジェネカーアップの命令が。急いで支度しホイスト、まずはトラブルなく揚がる。艇速は10ノットにも達する速さ。島が近い、こんなんで引っかけたらどうなるのか。島ぎりぎりを狙い猛スピードで回り込む。さらに追い手になったのでガイバック。フォアガイがたまらずパンク、ブロックがバン!!とぶっ飛ぶ。あと半マイル、なんとかタックロープで食い止めゴールへ。ゴールラインは狭く、ワイジャブぎりぎり最後はメインを返してそのままゴール!やったーファーストフォーム!!あとは後続艇が気になるが、一番にフィニッシュラインを横切るのは痛快。
その後、後続艇は1時間以上遅れて入ったので、総合優勝は確実。でも表彰式までは解らない。長いアトラクションが終わり、成績発表。やったーーー。ついに念願の総合優勝なる。オーストラリア行きから数えると8ヶ月におよんだプロジェクトは一応の区切りを終えた。
嬉しさもあるが、ホッとしたという方が正解か。日に焼けただれた唇の痛さがここ数日の海上生活の証しとなった。8月4日から7日にかけての出来事。

2011年8月4日木曜日

合宿開始

レース直前準備開始。まずはオーストラリアからの助っ人を出迎えに。東京見物といえば東京タワー。夏休み前半ということで、お子様連れが多く平日午前中といえども結構混んでいた。久しぶりに見た上空からの東京。でも、第2展望台まで行かなくては、高所という気がしない。それほど周囲の高いビルが増えたということか。どこでお昼を食べようかということになり、築地へ。焼き鳥丼の名門Tへと思ったが、鳥が苦手な先輩が同行していたので、Tの店主C先輩に教えて頂いた寿司D別館へ。ランチは1000円からとリーズナブル。S助っ人は珍しいらしくネタを訊ねてきた。英語で何と言うのかなと考えていたら、板さんが英語で解説。さすが国際都市 築地 である。我々はランチで満腹。S助っ人は中トロを追加注文していた、さすがに鯨はオーダーしなかったが。
次はヨコハマへ移動、上架中の船で整備あれこれ。セールの修理などもあり、近くのロフトへ。ロフトの主は病で倒れてしまったのだが、S助っ人はセール屋さんなので、人のロフトでもてきぱきと作業。私が助手を務める。1時間ほどで作業は終わったが、蒸し暑く全員グロッキー。中華街でなどと言っていたがパワーダウンのため最寄りのファミレスで夕食。明日からいよいよチューニング開始。新しく熱低や台風が出来てきたのが心配。レースは開催されるのだろうか。8月3日の出来事。

2011年8月2日火曜日

明日から出発

明日はいよいよオーストラリアからセール屋さんが到着。お出迎えと船の最終準備をする予定。まずはポルシェ君のエアチェック。ずいぶんと減っていたのでコンプレサーで充填。重い荷物もあるかもしれないので3キロまで高める。前よりも乗り心地が良くなり驚いた。やはり、時々エアチェックはせねばね。20年近く使っている安物コンプレッサーだが、故障知らずである。ただ、イタリア製なので作動音がうるさくて。その後蚊対策のグッズを購入に。すぐに型が変わるのか、中身の薬だけを買うのにドラッグストアをはしご。4件目でヒットした。これで船の中でもぐっすりと眠れるだろうか。トウモロコシ畑は丸裸、また来年という看板が。季節は確実に進んでいるようだ。8月2日の出来事。





艇長会議

しばらく忙しくて行けなかった墓参りへ。造花の花を夏バージョンへ変更。来年で亡くなってから20年が経つ。月日の移り変わりは早いものだ。たった十分程度の滞在だったが藪蚊にさされぶくぶく。ドラッグストアでムヒを購入。この先のヨット生活が思いやられる。
夕方はレースの艇長会議に付き人として参加。途中、不思議な車を目撃。ミニの背中に大きな空き缶が。飲料メーカーの宣伝車だろうか。日本にもこんな車があるのかとびっくり。停車中にパチリだったので鮮明には映らなかった。レースは50杯の参加。トップフィニッシュしかありえないのだが、逆にプレッシャー。無事にいい風が吹くといいのだが。8月1日の出来事。