2011年3月19日土曜日
非常事態
2011年3月18日金曜日
卒業式
次々と悲惨なニュースが入ってくる。特に釜石は仕事で3回行き、出前授業をしたことがあるので、見覚えがある風景が。学校はすべて高台に建てられ、過去にも津波の被害は少なからずあったので防潮板などの設備はあったのだが、今回のは規模が違う。皆無事に避難が済んでいればいいのだが。さて、今日は最後の勤務校の卒業式。今、関係しいる大学などは全て卒業式は中止になったが、ここはやるらしい。電車が動いている駅まで何とかして出れば、行き着けそうなので、早起きして、出かけることに。電車はいつもの倍近い時間は掛かったが無事に到着。六年生と保護者だけの小さな卒業式となった。卒業生を教えたのは、この子達が三,四年生の頃だが、みな大きく成長していた。それにひきかえこちらはといつも思ってしまう。今年で退職する昔の仲間と会食でもするつもりだったが、こんな事態なのでお流れに。ささやかな記念品のみ手渡すことができた。
帰り際には、お世話になった写真屋さんと喉を潤して、しばし懇談。
帰りの電車も止まり止まりで何倍も時間がかかって帰宅。予定停電地区に毎日のように引っかかているので、暗くなる前に食事をして節電。トイレットペーパーなど買い置きしないので、喫茶店のトイレに鎮座するペーパーが神々しく見えた。
3月16日の出来事
それでも海へ
運命の日
あれこれあったたが本日は300枚を越える投函をすませた頃、その時はやってきた。ちょっと滑りこませ難いポストで入りそうで入らない形をしていた。門前での滞在時間が長いとはらはらするものだ。やっとチラシを滑り込ませたポストが気のせいか震えているように思えた。こちらの心理状況を反映しているようだと思っていたら、次に、ポスト横の植木がざわざわ。
そして大きな横揺れ。隣の家に食材を届けていた生協トラックのドライバーと顔を見合わせ
「地震だああ!」頭上をみれば電柱、変圧器が大きく揺れている。手に手をとって向い側の駐車場へ。二人でうずくまっているが、なかなか揺れは収まらない。近くのマンションや車から警報が鳴り響いていた。
やがて揺れは収まったので、生協のお兄さんと言葉を交わし、業務復帰。途中で小学校脇を通ったら、集団下校の最中。学校現場は大変だろう。道には何人も人が出てきて立ち話。誰も出てこない家は不在だろうから、その家だけポスティングを続け、早めにバイトを切り上げた。
今晩は都心で会合があったが、武蔵野線は不通。西武線の駅まで行ったが再開の目処は立たないとのこと。ケイタイも通じず、公衆電話に並んで夜の会の中止を連絡。
電車が全て止まってしまったので道路は大混雑。
まだ、この日はそれほどの大事とは思っていなかったが、ケイタイが通じたら香港にいる息子から電話。海外では大変な事態と報道されているらしい。
余震も結構あって、夜中に何度も目が覚めてしまった。
3月11日の出来事。
酷なミーティング
なんでもあの有名な映画監督と関係がある模様。古い建物の佇まいは素適だったが、メニューにお値段が書かれていなかったので、とても入る気にはなれない。後日、ここの常連である写真やさんMさんに聞いたところ、ランチで2800円とか。夜の値段は怖くて聞かなかった。
昼食後、C先輩に案内していただき業者しか入れぬ安売り店で夜の会合のつまみや飲み物を調達。さすがに業者向けで信じられない安さだった。少し先輩のお仕事の運搬もお手伝し、銀座まで配達業務。
MC船上では19時より宴会がらみの会合がスタート。時間無制限はいいのだが、会議というより口論に近く疲れ果てた。寒かったのでストーブを焚いたが、注意されていた酸欠が発生。22時をもって退散。アルコール臭いのプンプンするゴミを持ち帰り、くろウサギ号の中は気持ちが悪くなるほどの悪臭。今日、飲酒検問で停められたら、一滴も飲んでないのに検挙されそうだった。まあ、無事に到着なれど、花粉症の症状に加え、酸欠で朦朧とした状態。簡易型の酸素吸入器があるので、それを吸って、やっと眠りにつくことができた。翌日はダウン。幸先が決して良いとは言えぬOB会のスタートとなった。3月9日の出来事。
ポルシェ君活躍
現場いろいろ
夕方は都心のOT女子大へ。学食はファミレスより格上の、ランチルームというに相応しい洒落たものだった。キャンパスは立派だが、男性トイレが少ないのは、どこの女子大にも共通する欠点。ここでは、同じく4月から新規に始まるバイトに関連した研究会に出席。ホリスティック教育という私にとっては新分野を教えるので、こういった研究会での仕込みが重要となる。研究会は二時間半みっちりと行われ、終わったら腹ぺこに。あまりの寒さに駅に行く途中の蕎麦屋に飛び込み熱燗とかき玉蕎麦で暖を取る。都心の蕎麦屋は仕舞いが遅くて助かった。
3月7日の出来事。
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