2012年2月7日火曜日
曇りのち冷たい雨
2012年2月6日月曜日
恩師を訪ねて
沿線の駅はどこも可愛らしく懐かしい駅舎ばかり。最近やっと、Suicaのタッチパネルが付いたらしい。パーキングメーターにも似たその姿が、また愛らしかった。途中で旧い看板を発見。東京湾を橋で繋ごうというアピールだった。すでに絵は剥げ落ちていた。いつ頃設置されたものなのだろうか。橋ではなく海底トンネルとして実現するとは当時の人々は思いもよらなかっただろう。その看板を写真に撮ろうかとも思ったが、僅か30秒ほどの停車時間では乗り遅れが恐くて断念。海を左手に眺めながらさらに北上、普通の市街地になってきたところで下車。高校時代の親友、NK夫妻がお出迎え。実は、ここ2年ぐらい探し続けている元校長先生宅を探しあてたので突撃隊という訳。実はちょっと複雑な事情があり探偵団を続けていたのだった。高校時代の友人が消息不明。その元校長氏の姪っ子さんが高校時代の友人と結婚したまでは解っているので、何か手がかりは無いかと押しかけた訳。元校長氏を捜し当てるだけでも大変だったが、それよりも計算上ご存命であれば90歳の筈なのでお元気かどうかが心配。結論からいうと、数年前に鬼籍に入られていて、ご住居は更地になっていた。ご近所の方に校長氏の元気だった晩年のお話を伺うことが出来たのは収穫だった。でも、これで2年続けた少年探偵団は解散となった。
気を取り直してNK夫妻にもう一軒お付き合い頂く。全く門外漢だった私を美術教育の道へ進ませてくださった恩師の元へ。かつては閑静な住宅地だった郊外の家そのものは変わっていなかったが、周辺は全く様変わりしていて迷子になってしまった。探す事20分あまりでアトリエに到着。聞けば先生は83歳とか。お元気そのもの。自作のアトリエも全く変わらず。地震でも崩れなかったそう。このアトリエには学生時代に呼ばれたことがあった。手伝って欲しい事があるとのこと。何と、庭で絵を燃やすという信じられない事をお手伝いしたのだった。長い間の抽象を捨て、具象絵画に方向転換した時期だったらしい。帰りがけに立派な作品集をいただいたが、その後書きにこうあった。「今回作品集を作るに当たって困ったことがありました。昔の抽象時代の作品を焼いてしまい、それらが残っていないのです。今から思うと若気の至りで勿体ないことをしたなと思うが、そこで出来た心の隙間を埋める作業をその後してきたような気がする、いやそう思いたい。」
先生の退官を記念して仲間と差し上げたシップクロックは、まだ健在。裸婦を描く方なので、モデルさんが時間を正確に読んで困ると苦笑しておられたが、満更でもなさそうだった。今でも正確に時を刻み続けているとか。28年間の月日の間、一度も休むこと無く。
2月5日の出来事。
南の海へ
やはり、伝統のセイル番号は守らなきゃ。
参加者一覧表を見て、同期がいないなと考えていたら、はたと思いついた。学園紛争のあった年で、その年だけT大は学生不在だったのだ。外へ出ると学園紛争のシンボルの講堂は現存していたが、周りの大きな建物に囲まれ往事の威厳はない。個人的にも色々と思い出のある敷地内を散策。時の流れを実感。
2月4日の出来事。
2012年2月4日土曜日
あちらこちらと
相談は、そのまま飲み会へ。酒を3回呑ませるという看板に釣られてGK駅前の蕎麦屋へ。1回目は冷酒で、2回目は常温で、3回目はお燗でという訳。何だかんだで、私が3、お連れは1ぐらいの割合で呑んでしまった。3倍呑んじゃった訳だ。いかんいかん、明日も飲み会が続くが節酒、節酒。出来るかなあ?
2月3日の出来事。
2012年2月3日金曜日
また日常が
子どもは天才!また発見。短冊をルール状にして立体的に貼り付けている子がいた。学年末に一冊の本に綴じる時には困るだろうが、それは大人の事情、それを子どもの想いが一気に突き抜けることが凄い凄い。
また、子どもから学んでしまった。
2012年2月1日水曜日
うれしい来客
うーん、料理のひとつでも出来て良かった、良かった。
2月1日の出来事。
壮大な夕焼け空
この学校とお別れは淋しいものだ。その後都心へ移動。神田の古本屋さんへ。ここでちょっとした思い違いが。今の古本屋さんは、全部ではないだろうがPCによる資料検索。いわばネット通販である。手にとり中味をみながら本を選ぶ時代は終わってしまったのだろうか。
ちょっと気落ちして店をでたが、美味しいランチで元気づく。現金なものだ。神保町の名店RCへ。うーん、洋食屋。今は消滅しつつある文化です。大事にしなくっちゃ。
所用を済ませ帰途につく。荒川を渡る頃には壮大な夕暮れ。富士山のシルエットもくっきり。陽が長くなり、もう春はそこまで。
1月最後の日でした。
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