すっきり目覚め、もっとゆっくりしたかったが南国の駅へ。始発の電車に乗って北上。
沿線の駅はどこも可愛らしく懐かしい駅舎ばかり。最近やっと、Suicaのタッチパネルが付いたらしい。パーキングメーターにも似たその姿が、また愛らしかった。途中で旧い看板を発見。東京湾を橋で繋ごうというアピールだった。すでに絵は剥げ落ちていた。いつ頃設置されたものなのだろうか。橋ではなく海底トンネルとして実現するとは当時の人々は思いもよらなかっただろう。その看板を写真に撮ろうかとも思ったが、僅か30秒ほどの停車時間では乗り遅れが恐くて断念。海を左手に眺めながらさらに北上、普通の市街地になってきたところで下車。高校時代の親友、NK夫妻がお出迎え。実は、ここ2年ぐらい探し続けている元校長先生宅を探しあてたので突撃隊という訳。実はちょっと複雑な事情があり探偵団を続けていたのだった。高校時代の友人が消息不明。その元校長氏の姪っ子さんが高校時代の友人と結婚したまでは解っているので、何か手がかりは無いかと押しかけた訳。元校長氏を捜し当てるだけでも大変だったが、それよりも計算上ご存命であれば90歳の筈なのでお元気かどうかが心配。結論からいうと、数年前に鬼籍に入られていて、ご住居は更地になっていた。ご近所の方に校長氏の元気だった晩年のお話を伺うことが出来たのは収穫だった。でも、これで2年続けた少年探偵団は解散となった。
気を取り直してNK夫妻にもう一軒お付き合い頂く。全く門外漢だった私を美術教育の道へ進ませてくださった恩師の元へ。かつては閑静な住宅地だった郊外の家そのものは変わっていなかったが、周辺は全く様変わりしていて迷子になってしまった。探す事20分あまりでアトリエに到着。聞けば先生は83歳とか。お元気そのもの。自作のアトリエも全く変わらず。地震でも崩れなかったそう。このアトリエには学生時代に呼ばれたことがあった。手伝って欲しい事があるとのこと。何と、庭で絵を燃やすという信じられない事をお手伝いしたのだった。長い間の抽象を捨て、具象絵画に方向転換した時期だったらしい。帰りがけに立派な作品集をいただいたが、その後書きにこうあった。「今回作品集を作るに当たって困ったことがありました。昔の抽象時代の作品を焼いてしまい、それらが残っていないのです。今から思うと若気の至りで勿体ないことをしたなと思うが、そこで出来た心の隙間を埋める作業をその後してきたような気がする、いやそう思いたい。」
先生の画業発展の為に、一役買ったことが判明し、嬉しく思った。だが、数枚でも拾っておけばよかったと考えるところ、俗人中の俗人なり。
先生の退官を記念して仲間と差し上げたシップクロックは、まだ健在。裸婦を描く方なので、モデルさんが時間を正確に読んで困ると苦笑しておられたが、満更でもなさそうだった。今でも正確に時を刻み続けているとか。28年間の月日の間、一度も休むこと無く。
2月5日の出来事。
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