2010年6月29日火曜日

梅雨空

月曜日はZ大の講義。こう蒸し暑いとやる気が失せるのは学生も同じか。いつになくお喋りが多かった。行きに気になっていたコメダコーフィー店へ。名古屋らしくあんこトーストなどもあったが、サービスのハーフモーニングを頂く。コーフィーはダブルサイズでそれなりに旨かった。これで500円なり。2杯分と思えば高くはないが、たっぷり生クリームを諦めたのが心残りだった。結構繁盛していて名古屋パワー健在である。授業が終わるとバケツをひっくり返したような土砂降り。高速道路無料実験区間の開始日だったので八王子バイパスを通ってみた。ETCレーンはちゃんとあり、通過すると通行料 0円 と出た。もっと長い中央高速あたりでやって欲しいものだ。帰宅して歯医者へ。根っこの神経をとことん触られ気分低迷。6月28日の出来事。

2010年6月27日日曜日

忙しい週末

またしても週末がやってきました。金曜日は朝早く出て海へ。東名回りで2時間半で壺に到着。昼飯を食べるのもそこそこにセーリング開始。ダブルハンドの練習なのでジェネカーを重点的にトライ。オートヘルムのリモコンが活躍。ハーバーは金曜日にも拘わらず、活気を呈していた。夜は仲間で前夜祭。知らないうちに気絶していた。翌朝4時半に起こされる。すでに半数が出航済み。5時に舫を解いて見送る。ぼやっとしていたらスタートを観に行くからと誘われたので、直ぐに観覧艇に乗艇。朝7時という早朝のスタートシーンが観られるとは思わなかった。ハーバーに帰り着いて仮眠1時間。現役との練習開始。結構みっちり4時間の練習。コーチ業も楽じゃない。少し早めに練習が終わったので、急いでシャワーを浴びてフェリー乗り場へ。出航10分前に到着。30分の船旅を楽しむ。房総に着いたらひたすら南下。館山でカナダレースの反省会に出席。次回のオーストラリア大会まで人脈を繋いでおかないと。何人か、会話が出来る友人ができた。日本的な風景の中で一泊のご恩を賜る。カエルの大合唱に感激。日本の田舎も捨てたもんじゃない。日曜日は、天候も悪く午前中で失礼する。普段は混雑していた立ち寄れない海ホタルへ。あさり蕎麦はなかなか美味しかった。地のあさりかどうかは疑わしいが。昼過ぎに帰宅。潮ッ気をたっぷり浴びたミート君を洗車。汗をたっぷりかいたのでシャワーが一際美味しかった。さて、明日のZ大の予習もしなければ。




2010年6月23日水曜日

ヘルシー志向

朝から激しい雨模様。いつもより余裕をもってO大へ出発。心配した渋滞も大したことはなく昼前に到着した。 大塚の千円床屋まで歩いて行こうと思ったけれど、このしぶきをあげる雨。簡単に諦めた。学食を見れば、まだ人はまばら。いつもの女子大生の渦の中に飛び込む勇気はないが、空いていれば問題なし。日替わり定食を注文。和風おろしカツと冷奴の定食、399円なり。99という端数がうまい策略である。味はなかなかいけた。それよりもエネルギー表がレシートに付いているのがさすが。530Kcal 塩分3.0g 赤 2.5緑 0.2黄 4.7とある。さすがに食育教育を頑張っているだけのことはある。ライスはランチ定食に限りどのサイズでも同値段というのにつられてMを注文してしまった。うーん、Sにすべきだった。おまけに弱い食いしん坊ぶりを発揮してしまった。O大は40人の授業で素直な子が多いので、授業は楽しくできる。やはり長年やった専門領域は楽しくできるというもの。まあ、未知のものに挑戦するZ大の方もやりがいがあるということにしておこう。それにしても、この湿気。カナダ慣れした体にはきつい。またエアコンの風もどうも嬉しくない。日本の夏は苦手である。

2010年6月22日火曜日

3丁目の夕陽

週末はコーチ業で忙しく、月曜日はZ大の講義。何だか週末の方が平日よりも気が抜けない。退職して3ヶ月、そろそろ辞めた重みがじわじわ解ってきた。C先輩の仰せの通り、肩書きで貰っていた仕事は全部声が掛からず仕舞い。解っていた事とはいえ淋しい限りだ。結局、自分という個人を認めてくれていたのではなくして、名門校の名刺に価値があったのかと思う。すべての肩書きを取り去ったところに本当の己があると言った先輩がいたが、今となると実感を伴って頷ける。夕方の近所を散歩。夕焼けの美しさを久々に観た。蒸し暑く空気がよどんだ日本の気候をうとましく思ったが、この夕焼けは、心底心地よい。さて、明けて本日は片付け仕事に精を出すつもりだったが、だらだらと一日を過ごしてしまった。

2010年6月21日月曜日

梅雨空

豪雨の後はじめじめした曇り空。週末は、来週行われる初島ダブルハンドレースの準備の為に金曜日の晩から壺入り。梅雨前線の影響か、南風が猛烈に吹いている。午前中は整備をしてやや風の落ちた昼過ぎに出航。それでも25ノット吹いている。スピン練習や新兵器のオートヘルムテストは壊すといけないのであきらめた。今年は出ようかなと思ったけど、昨年が不満足な結果に終わったメンバーに席を譲り、サポート隊に徹することに。土曜日の夕方からは、現役の練習に乗る。風はちっとも落ちていなくてむしろ吹き上がっていた。ワンポン、ストーム、2ポンとどんどんセールを小さくする。それでもうねりが凄く船は持っていかれて航路を保つのが難しかった。1時間半で練習は終了。30ノットぐらい吹いていたのでナイト練習は危険と判断して帰港。陸からみる夕陽は穏やかな光景なのに。ハーバーに船はまばら。これはサッカー観戦のためとみた。先輩のシーボニアマンションで半分眠りながら観戦。帰りは車で送ってもらったので急坂を上らずに済んだ。

2010年6月18日金曜日

日本もなかなか

夏!到来か?それにしても蒸し暑い。まだこんな程度で弱音を吐いちゃ日本の夏は乗り切れないのだろうが。家の中は暑苦しいのでモンキー君でお散歩。日本の風景も捨てたもんじゃない。違った意味で緑豊かだ。蕎麦でも食べようかと思ったが、お目当てのところは休業日。あれっ、長蛇の列の塩ラーメンの店に誰も並んでない。久しぶりに入店。様子から察するに昔ほどの混雑では無い模様。原因は価格にあると推察。一杯700円は今の感覚では安くはない。390円ラーメンが賑わっているのも頷ける。確かに旨いが2倍旨いかと言われると考えてしまう。それより2杯食べた方がいいという人が増えたのだろう。2週間の外遊のツケは大きい。溜まりに溜まった課題をチェック。正常化するには、まだまだ時間が必要。週末はヨットのコーチ業。普通に勤めていたら、とてもこなせないだろう。それにしても空気が重い。カナダの風をもっと吸ってくるのだった。

2010年6月15日火曜日

また日常が

楽しかったカナダのレースも終了。たった2週間だったが、それすら休みが取れぬ悲しい日本の実情。最終成績は地元カナダがダントツで1位、ニュージーランドと日本が同点2位なれど着順で1位が多いニュージーランドが上にいって、日本は総合3位、続いてアメリカが僅差で4位。そしてずっと最後を走っていたオーストラリアが5位。残念ながらロシアは不参加。でも、そんな順位なんてどうでもいい。これはワールドカップでもオリンピックでもない純粋な草レースなのだから。パンパシフィックレースは1隻のヨットがナホトカから友好都市のベリンハム(USA)まで航海してきたことに端を発する。折しもモスクワオリンピックのボイコット問題があった年であったので、ヨットレースをやって国境のない友好関係を築こうというのが主旨で、全くの手作り、無給のボランティアだけで開始された。それに賛同したカナダ、日本、ニュージーランド、オーストリアが加わったという訳だ。従って全ての行事が友好的な中で行われ、最終日のフェアウエルパーティーを出ずに一足先に帰国したのが誠に残念だった。帰りはやはり時差ぼけが出て眠くて仕方がなかったが、Z大の講義は何とかこなした。有難くない郵送物も来ていた。税金がしめて80万円なり。溜めても仕方がないので市役所へ支払いに。キャッシュカードも限度があり、店頭まで行きひきだしたキャッシュをバンとカウンターに置いた。何度も枚数を数えてくれた係の方は丁寧だった。バイク駐輪場ぐらい作ってくれと言いたかったがその丁寧さにひるんで何も言わなかった。退職金は確実に減っていく。残り三分の一で来春まで持たせなくては。それにしても、まだ年金の計算が来ないとは!問い合わせるとまた腹立たしいことが起こるので、暇な夏休みにやることとしよう。

2010年6月12日土曜日

ファイナルレース

ついにカナダ滞在もあと一日を残すのみとなった。最後なので早起きして朝のお散歩。近くのビクトリア大学の学生寮へ。庭には野うさぎさんがごろごろいる。草を食べたり、伸びをしたり、あまり人間を怖がらない。かわいいものだ。帰りは浜辺を歩く。あるのは、カモメさんの足跡と流木だけ。静かに時が流れていた。朝食を食べてハーバーへ。今日はレース観覧艇に乗る。47フィートのヨットだ。キャビンは豪華で至れりつくせり。ご夫婦で軽々と大型艇を操る。手慣れたものだ。このオーナーはセーリング好き。機走ではなくセーリングでレース見物。ヘルムをとらされた私は、レースの邪魔をしないか気が気じゃない。日本チームは健闘むなしく、少し順位を落とした様子。結果発表は明日のフェアゥエルパーティーまで持ち越された。明日は午前の便の飛行機に乗るので、最終成績を知るのは帰国後のお楽しみとしよう。長いようで短かったカナダ滞在。そして素晴らしいこのパシフィックリムレース。大いに楽しんだ。社会人生活の卒業旅行のよう。2年後のオーストラリアまでに体力も気力も鍛えておかなくては!!














2010年6月11日金曜日

浮上!2位!!!

今日は2回目の乗艇日。レースは追いこんで消化しているので、今日が私にとっての最終レースとなった。本日は4レースを消化。前日までカナダ、アメリカに次いで3位だった。僅差でニュージーランドとオーストラリアが追従している。国際的な草レースといえども、運営はぴか一。風の振れに従って素早くマークを打ちかえる。かなりレベルの高いレース運営だ。日本は今まではブービーメーカーだったらしいので、参加国は皆いい意味で好意的だったようだが、今回は違う。ヨット先進国と五分の勝負ができるのだ。各国の視線を浴びる。本日の初めの3レースは微風、軽風。湾内のショートコースだ。今日もまたしてもバウマン。スピンジャイブをいかにスムーズに決めるかが課題。いくつか失敗もあったが、終盤はノーミスのジャイブワークを見せることができた。第3レースでは待望のファーストフィニッシュ。あともうまくまとめることができた。特に本日最終の第4レースは沖にコースを移して20ノット前後の強風レース。オーストラリアなどはスピンを諦めたが、ジャパンチームはスピンランに挑戦。心配されたジャイブも綺麗に決めた。結果は3位。総合成績では、アメリカを抜いて2位に浮上!!どの国も日本チームの活躍に賛美の言葉をくれた。レースを上がってクラブの芝生で飲むビールの味は最高!夜9時まで明るいので、家に帰ってジントニックを一杯。ジョージア海峡を渡る潮風が極上のつまみだった。










2010年6月10日木曜日

満喫!

今日は公式レイディー。ホストのご夫婦とダウンタウンへ。花の街にふさわしい綺麗な街並みに感激。ATMでお金を下ろす儀式も無事に終了。お世話になったホストにランチをお返しした。オイスターはまあまあだったが、白ワインとシーフードパスタは美味。喜んでいただけただろうか。帰宅して束の間の昼寝タイム。毎週水曜日はクラブレースがあるので体験乗艇。少しは大きい船かなと思ったけれど、割り当てられたのは24フィートのライフライン無しの船。オーナーは大変背が高い。名はサイモンさん。トールサイモンと覚えたら、皆がそういうあだ名で呼んでいた。クルーは3名、中心になる同じ年頃のおじさんはジトリマー、若手がスピントリマー。そしてバウマンのウエンディーは私より10kgは重いヤングレディー。軽々とバウをこなす。私はジブのテーリングとスピン時のガイ担当。慣れないからとコンパニオンウエイに陣取りお客さん待遇かと思えば、ハリヤードのアップダウンに始まり、恐れていた乗り出しのハイクアウトを命じられる。なんてたって、ライフラインがないので、どこにも捕まるところがないので命がけ。それでもお世辞だろうが、グットセンス、グットジョブを連発してくれた。スターボーの声も2度ほど浴びせることができた。最終レグは同型艇と競り合い。下から上せば、すかさずジャイブを入れてくる。こちらも応戦。鼻の差で先着。気持ちのいいレースだった。風は20ノット弱の順風。迷っていたがジェノアを張りきるファイトに感服。船を降りる時に全クルーが良くやったと私の事を誉めてくれた。バウウーマンのウェンディーちゃん曰く、あなたの英語も素晴らしいとのこと。気を良くしていたら、私の日本語より遥かに好くできてるとのお言葉。ちなみに日本語は何を知ってるかと尋ねたら、ヨコハマ、ヤキトリ!!とのこと?!。今日は日本人と乗るより数段楽しかった。これで帰っても悔いは無いかもしれない。それぐらい楽しかった。最高のロケーションと素敵なヨットマン達に乾杯!!やっぱり早期退職して正解!!















2010年6月9日水曜日

三拍子

パシフィックリム(環太平洋)ヨットチャレンジ。名前は壮大だが、とことんの草レースである。なぜならば草レースの条件、一応まじめなレースと参加者の親睦を見事に兼ね備えているからだ。パシフィックリムでは、15レース以上の上下レース、ホームステイによる宿泊、レースに参加しないメンバーのための遠足、この3つを必ず用意している。加えて毎晩のパティーも。今日はメンバーのやりくりの関係でオフの日だった。観覧艇に乗ることも考えたが、いっそ遠足を楽しもうとバスに乗った。カナダはどこの家もガーデニングが盛んだが、それを象徴するようなブーチャットガーデンへ行く。ここはビクトリア一の有名観光地だ、東洋人も多く訪れていたが日本人は我々だけだった。その後ブドウ畑をすり抜けてワイナリーへ。歴史は浅いがなかなかおいしかった。ハーバーに帰ると、日本チームの好成績が伝わってきた。軽風ではハンデが少なく、追い詰めた様子。明日は公式のお休みなので次回は木曜日。次回に乗る私の責任は大きい。頑張らなくては!!














2010年6月8日火曜日

レース初日

今日はレース初日。少し早起きしてハーバーへ。艇長会議なるものがあり、危険個所の確認やローカルルールの説明があった。結構今日は吹きそうだ。午前中は練習、日の丸を掲げて出航!20フィートの小型艇はまるでディンギー。ライフラインも無い。ポジションは、まさかのバウマン。ちゃんとライジャケを着なくては。案の定20ノットの風。スピンは中止になったが、ウイスカポールにて観音張り。スナイプを思い出す。
潮よりも強風が勝ち。穏やかに見えた船は意外と速く。ぶっ飛んでいく。何にもないバウに行くのは恐怖だ。波が無いのが幸い。1レース目はまぐれの好スタート。アメリカ、カナダに次いで3着。ニュージーランドとオーストラリアがそれに続く。幸先の良い初戦だった。実力はアメリカ、カナダが一歩抜きんでて、あとは団子状態。続いて2レース目、だんだん吹きあがり22ノット以上。それでもレースは続く。結構きつい上り,全身ずぶ濡れ。2回目のダウンウインドは慣れたのでウイスカも決まった。それにしても私がバウマンとは。歳を考えるときつい。2周目でトラブル発生。下マークを回ったところで鈍い音。何とスプレッダーがぶっ飛んだ!
即タックして下す。そしてメインダウン。ジブだけでジャイブしてハーバーを目指す。ここであたふたすること無く、自力帆走可能と自信をもって宣言。アビームでハーバーを目指す。この判断はとても高く評価され、グッドジョブと後に各国から誉められた。KCC魂を発揮できたかも。これで今日のレースは終了と気も抜けたが少し安心。 インフレータブルボートに曳かれて帰港。
ところが代わりのスペアボートを用意するとのこと。鞄だけもって、また沖へ送ってもらう。代替え艇に乗り替えたら、もう第3レーススタートの4分前。何がなんだか分からずにスタート。いきなりタックしてきたアーストラリア艇がぶつかるようにしてお尻をなめていく。風はますます上がり25ノットぐらいか。もう体力が限界でヒール潰しが厳しい。軽々船外に出ている国もあるが、ここは慎重にコクピットでヒール殺を殺す。なんとか2周を回り切りゴール。またまた3位。まずは順調なスタート。それにしても昨日までの軽風はどこへ行ったか。帰ってきてスプレッダー事故の報告書書き。英語をしゃべる日本人はいるが書くのは苦手とか。仕方なく昔覚えた商社英語を使って作文。長い待ち時間があった後、審問にかけられる。こんな経験は初めて。部屋に入ると国際審判員がいて事情聴取。ヨットの模型とブイ、風の方向の3種のチップを動かしながら事情説明。事故が起きた時点では4位だったので、それを主張。DNFだったのが救済で4位に浮上。総合3位。もう一つのJクラスは日本人が2位。国別ではトータル3位をキープ。このままで終盤まで行きたいものだ。明日は、メンバー交替で自主的レイディー。サポーター相手の遠足でも行くかな。




2010年6月7日月曜日

オープニング

朝から雨。今日はオープニング行事だけなので助かった。まずはハーバーに行き、ホストのパワーボートでレース海面の視察。結構潮が強い。小島もたくさんあり、別荘が立ち並ぶ。ビルゲイツの島というのがあり、さすがに規模が桁違いだった。ハーバーに帰ってからレクチュアーあり。近辺の浅瀬と潮の流れ、艇のフィティングなどの講義があったが理解度は30%ぐらい。言葉のハンディは大きい。明日かの午前が練習。午後から本戦である。シリーズ16レース中の8レースに乗ることが決定。あとクラブレースに飛び入り参加することになった。クラブレースは水曜日の18時スタート。21時ぐらいまでは明るい。何しろここは北緯48度線、カラフトと同緯度なのだから。 6月6日の出来事。














2010年6月6日日曜日

明日開幕

朝は早く目覚めてお散歩。家の前には鴨がいた。飼っているのではなく池の金魚を狙っているので早速追い払った。家から歩いて1分、芝生の真ん中に湾を眺めるのに格好なベンチが。ハーバーが見下ろせる。こんな素敵な場所は世界に幾つもないだろう。朝食を済ませ、ホストの方に市内案内をしていただく。インナーハーバーというダウンタウンの中心は、まるで英国そのもの。南の岬からは遠くアメリカが見えた。向こう岸はシアトルである。ロッキー山脈が雄大そのものだった。昼食は恒例のサラダとビール。次はヨットクラブへ。各国選手の半数ぐらいが到着済み。我々も早速受付を済ませた。参加はカナダ、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、日本の5カ国。今回はロシアが急遽参加を取りやめた。パンパシフィックの草レースの開幕だ。船は古いデザインだが人気のCal20、もうひとつはレース志向のJ80。日本チームは選手が11名。応援団が10名の計21名。私はCal20チームに所属。5名のメンバーのうち3名が交替で乗る。明日はいよいよプラクティスである。