2010年4月30日金曜日

検査の結果は?!

大嫌いな採血。案の定?3回差し違えた?名ドクターも手を焼く血を採りにくい血管。針がささっても逃げてしまうらしい。嫌だという意志をもった血管である。看護婦さんに代わって無事に採血。運動不足を指摘される。確かに勤めている時は立ち仕事なので、黙っていても1万歩を下ることはなかった。今では家から一歩も出ないこともある。そういう時は悲惨で千歩もいかない。これはいけない。採決後の朝食は低カロリー食に押さえてからO大へ。講義が終わりGWへ突入。といっても日常とあまり変化なし。とにかく歩くのが一番という訳で、翌日は横浜の大ハーバーへ。ヨットに乗りに行ったのではなく、アウトレットで靴探し。私にしては張り込んで2足を入手。ついでにヨットのカッパも買ってしまった。アウトレットというのはさすがに安い物があり感心感心。今日は、退職手当が入ったので銀行回り。連休前でATMは長蛇の列だった。車は混んでいると思って、久々にモンキー君が活躍。茶畑の中をすいすい走る。バイクに乗っているばかりではありません。午後は検査の結果を聞きに主治医の元へ。思った程悪い結果ではなかったが、やはり運動不足を指摘された。ご安心を。今日は、たっぷり歩いて1万歩を確保した。明日からは現役の練習に付き合いナイトセーリング。かなりの運動量となるであろう。

2010年4月27日火曜日

風邪気味なので


本当は3丁目へ蕎麦打ち指南へ行く予定だったが、夜中に寒気がして節々が痛くなり急遽キャンセル。ゆっくりと朝寝をした。辛かったら寝る。当たり前のことが今までは出来なかった。自分のからだのリズムに忠実に生活出来る喜びは大きい。少し明日のO大の予習をして早風呂。明るいうちに入る風呂は贅沢。夜は栄養を付けようと得意料理のムール貝のワイン蒸し。木挽町仕込みも堂に入ってきた。そう思っているのは自分だけかもしれないが、確かに毎回研究を重ねると腕は上がるものだ。しかし、相手は生もの。素材の善し悪しが出来映えを大きく左右する。満足しきったが、明日の朝は血液検査だったことを寝る前に思いだした。まあ、普段の状態で検査することに意味があるとしよう。明日の検査でどんな数値がでるかドキドキである。

バイクで通勤


今日もいい天気。Z大の講義日だ。あまりの気持ちよさに全行程バイクで行こうかと思ったが、パソコンを積んでいるので、振動が心配。近くの駅までにした。畑の中の小道を上れば武蔵野線の隣駅。これが一番の近道。Z大まで60分で到着。講義は大人数なれど、なんとか笑いをとりつつ終了。GW中に少し対策を立てねば。帰りがけに歯医者さんへ。時間に余裕があると色々なことが出来るものだ。4月26日の出来事。

やっと陽ざしが

久しぶりの油壺。ここ数日の寒波がやっとさり、GW前の爽やかな気候となった。土曜日は海をお散歩。潮風をたっぷりと吸い込んだ。土曜の晩はマンションで気絶。エアコンの真下で寝てしまったのが敗因。喉が痛く、夜中に目覚め安眠できなかった。翌、日曜日はクラブレース。チームの現状からいえば良く健闘し3位入賞。久々の賞品を手にした。帰りは渋滞を懸念して、ひと眠り。ラッシュが引けた頃出発したら2時間で自宅まで。なかなか効率が良かった。夏に向かってこれからは、このパターンが増えるかも。4月終わりの週末のこと。

2010年4月24日土曜日

またまた3丁目

今日も冷たい雨。週末はヨットに行くので月曜日のZ大の予習。300人近くに増えた履修生のために作戦を練り直した。午後からは前の職場の後任者の歓迎会。お気に入りの新宿3丁目のIHに向かう。家にいると、ひどいときは万歩計のカウントが3桁に留まることがある。勤めているときは、黙っていても1万歩を下ることはなかったのに。最寄り駅から副都心線に乗ろうとすると、運がいいことに急行が来た。30分で伊勢丹に到着。随分と便利になったものだ。歩数をかせぐこともあって、本屋さんをはしご。本の充実ぶりは、やはり都心である。歓迎会は訳あって2軒目へ移動。後任者は良いポジションを得たと喜んでくれていた。昨日で、やっと自分の中でひとつの区切りがついた。次の生活へどう歩み出すのだろうか。

2010年4月22日木曜日

検査が近いので



忘れていた血液検査の時期が近づいてきた。いや、忘れることはあり得ないのだが、なるべく考えぬようにしていたというべきだろう。昨日はO大の授業。視聴覚機械のトラブルはあったが、受講者は適当な人数。大学全体がおっとりとした雰囲気だが、素直な子ばかりで楽しく授業が出来た。さて、一日に1万歩というノルマをこなすために帰宅後は夜のお散歩。銀座とは打って変わった静けさ。というよりは暗闇が恐い。家の近くのただひとつの灯りは横断歩道。暖かい夜だったので歩くのは苦ではなかったが、あまりにも変化に乏しい。昼間ならば緑に心なごむのだが。今日の昼は前から狙っていたカップヌードルライト。198kcalというの表示が憎い。通常品の約半分。でも味は変わらず美味しかった。塩分を押さえる為に汁は飲まずに捨てた。PCを開くとZ大から履修者決定の通知が。メインの芸術心理学の履修希望者は、、、、何と293名なり。、、、これはもう授業不可能。さて、どういう案を練るべきか。無農薬レモンがあるのを思い出し、ミニホーセズネックを一杯。ゆっくり考えるとするか。

2010年4月20日火曜日

銀ぶら


滅多に行かぬ都心へ地下鉄で向かう。ヨット関連でお願い事があり、築地の鳥屋さんへ。退職してから万歩計の歩数は3000歩を出たことがない。勤めている時は10,000歩を切ったことがなかったのに。これではいかんと、有楽町で途中下車。八重洲の本屋さんでカナダ関連の本を立ち読み。裏道を宝町へと向かう。サラリーマン時代は、良く昼食を食べに行った食堂「黒べえ」は見る跡もなくホテルを建築中だった。向かいの蕎麦屋も当然のように消失していた。タイムトラベルをして戻って来たみたい。昭和通りを越えると新富町。良く通った印刷屋さんを通り過ぎ、KT小学校横へ。雨粒がぱらぱらと落ちてきたので休憩。退職者ならではの楽しみ、黒いビールで一息ついた。雨が小降りになったので、待ち合わせ場所の勝ちどきを目指した。無事に話し合いも終わり、帰りは銀座松屋までお散歩。建て替えが迫る歌舞伎座前の人混みを抜けるとあっという間に銀座1丁目に到着。往復で5000歩だったが埼玉の田舎道を歩くよりも時が経つのが早く感じられた。

250人!

Z大の授業は2回目。まだ履修調整中である。教務室へ行ったらメモが。教室変更とのこと。いやな予感が。印刷機も言うことを聞かず四苦八苦。なんとか授業へ滑り込む。3限の方の教育心理学は教職課程を授業なので、まじめな学生が多く良く話を聞いてくれる。80分ほどしゃべりまくって無事に終了。人数も100人弱でまずまず。さて、10分間で教室移動。大学一の大教室。300名収容のいわゆる階段教室だ。黒板はとてつもなく大きく、上まで手が届かない。教壇は高さ1m以上あるので、歩き回る癖のある私には転落の危険が一杯。プリントを2回刷りまして、やっと授業開始。何と250名を超えた。Z大一番の人気授業になってしまった。PCが映写出来ないというハプニングもあり、訳の解らないうちに授業終了。どっと疲れが出た。これから魔の月曜日となりそう。ばたばたしていて写真を撮る余裕も無い一日だった。4月19日の出来事。

パワー切れ

今日はレース!久々でからだが動くか心配。朝8時と言われてハーバー、と言っても単なる岸壁だが、に到着。見慣れた船の前で待つ。壺の名艇DHは館山に来てALと名を変えた。待つことしばし、誰も現れない。8時半にやっと一人登場。私よりちょっと年上の小柄な初老の紳士だ。聞けばALの共同オーナーとか。良さそうな方がパートナーになり、オーナーのT氏も安心してるだろう。やがて、オーナーT氏到着。助っ人のヨット名人I氏も登場。I氏は壺でDHに乗っていたが、千葉に移り住んで、また艇に再会したという不思議な縁の持ち主。あと誰が来るのかなあと思っていたら、これで終わりとのこと。4人じゃ辛かろう。とにかく出航。いい北風が吹いている。コミテッィーは不在で時報スタート。どの艇もストップウォッチを持っている。聞けばゴールも自己申告だそうな。全部で7杯。艇は古いが気合いは入っている。今年度の初戦なので気迫も尚更だろう。まずまずのスタート、しばらくして艇団をリード。いい風に恵まれたのとI名人の力で、どんどん後ろとの差を広げていく。湾内のレースかと思えば大房岬の沖のブイを回るセミロングコースだった。行きは上り上りでタックタック。オーナー両氏は非力でウインチが巻けない。従って私の専業となった。数回はいいが、やがて掛け声だけでシートは入って来ない。遅いと言われるが息切れしてしまう。そうこうしている内にマーク回航。回りの景色を楽しむ余裕はない。ダントツのトップ回航。久々の体験で気持ちがいい。何十年ぶりだろうか。ところが帰りが問題。ゴールはしっかり風下だ。スピンの装備はなく、ジェネカーを張るという。しかもクルージング使用なのでジャイブのセットをしていない。I名人も迷うが、とにかく揚げる。さらに加速するがメーターが動いていないのでスピードは不明。後ろの艇がスピンを揚げ出した。ジェネカーは横走りをするのでかなりの遠回りをする。ジャイブが打てないのが致命傷。一度ジブに張り替えてジャイブし再度ジェネカーを揚げるというI名人の提案だったが、クルーの練度を考えてジェネカーのみ落として揚げ直すことを提案。これが意外と手間取り命取りとなった。この間に後続艇2杯に抜かれる。最後は風が変わりジブを揚げ、風道を見つけ1杯は抜きなおす。このジブ揚げが大変だった。少ない人数なのでひっかかると前へ行き、またマストへ戻りといった具合。たった2時間半のレースでもパワー切れを起こしてしまった。少し基礎体力を付けねば。それでも心優しきオーナーは上位に入賞出来て大満足。こちらもトップの回航、最後の追い上げなど満足満足。みかん研究家のオーナー宅に用事があって立ち寄ったら、みやげにダンボール箱一杯の甘夏と檸檬をいただいた。無農薬の皮は夜のカクテルとなった。4月18日の出来事。

2010年4月17日土曜日

東京湾ふたたび

週末!と言っても、ほぼ毎日が週末のため、さしたる感動はない。やはり勤労は尊いものだ。学校を卒業すると勉強したくなるのに似てるかもしれない。しかし、少年は海を目指す。ここはペリー来航の地、浦賀沖の小島。暗礁のある難所だが、今日はヨットではなくフェリーで渡る。午前中は昨日の嵐の影響で欠航していたが、今は割と平穏。本船航路を横切るが、本船が回避行動をとっている。かなり強気である。商売で運行している強みなのか。とにかく予定通りに東京湾を横断。なじみの館山へ。明日はレースなので、寝坊くせのついた身には朝が辛いだろうと民宿へ。宿泊客はおそらく3名。シーズン前とはいえ、淋し過ぎる。来週の授業の予習がはかどりそう。

2010年4月16日金曜日

小原庄助さん?

すっかりリタイア生活が身についてきた。何しろ寝間着で過ごす時間が長い。夜に気絶してしまうことを避ける為に風呂は夕飯前。まだ陽があるうちに入る。残念ながら風呂に外が見える窓はないが、そこから海が見えれば最高だろう。かつてヨット乞食をしていた若い頃、小さな借り間をしていたが、そこの風呂の隙間から1cmぐらい海が見えて幸せだったことを思い出した。食事の時は、たいがい、そこいらのバーよりも美味しいマティーニから始まり、ほろ酔い気分で終える。飲むのはたいした量ではないが、ちょっと一杯が旨い。そして案の定気絶する。早めに風呂に入っていて良かったとしみじみ思う。ところが夜中に目が覚める。そりゃそうだ。夜の9時には寝てるんだから。ケーブルテレビを導入してから、夜中が楽しい。テレビは60分物なので大概一番組で寝るが、映画をやっていると大変。2時間は起きていてしまう。最近賢くなって録画を覚えたので、そういう場合は予約をして就寝。それでも夜中に起き出す。その結果、朝は寝たいだけ寝る。起きるのはトイレに行きたいか、腹が減るかの整理現象がきっかけだ。この週末は館山へヨットの練習に行くので今日中に月曜日のZ大の仕込みを終えねばならぬ。その前に手紙をいくつか書いてポストへ。その時、ミニカーのタイヤのバランスウエイトが取れているのを発見。明日は高速に乗るので、タイヤ屋さんへ。勿論無償で対応してくれた。帰り道だったので新秋津のスィーツの名店に寄り道。いつも立錐の余地もないLNは昼間は妙に空いていた。あれこれ迷って、定番サバランを購入。さすが名店、普通のサバランと違う風体で何やらスポイトの様なものがケーキにささっていた。これについては解説あり。このお菓子はお酒がたっぷり入っているので、お酒がお嫌いな方の為にラム酒の量を調節してくださいとのこと。家に帰るなり、シャンパンを飲みながら、スポイトは最後の一滴まで絞り出したのは言うまでもない。
さて、Z大の準備は明日の朝にするかなあ?!こんなお気楽生活も悪くはないものだ。

2010年4月15日木曜日

成田直行便

一時帰国していた息子がカナダへ!と思いきや急遽ホンコンへ帰る事に。子細は不明だが、今日は半日おつき合いした。埼玉の片田舎から成田までは近くはないが格安バイパスを発見。家から10分ほどのところにあるバス車庫始発で国際空港直行便があることが判明。大きなバスに乗客は、たった3名なり。便利なこの路線が廃止されぬことを願う。教え子から手紙2通。いずれも急に退職したことへの抗議文?それはそれで気分悪からずだが、まだ身の回りの整理もつかぬのでご挨拶文を書く気にもなれず。最近やっと退職したという実感がじわじわと。週休5日制!悪くはないものだが、時間があるとかえってやるべきことが捗らぬ。アスタマニァーナ!明日できることは今日しない。すっかりスペイン人のペースになってしまった。それにしても今日の雨は冷たかった。

2010年4月14日水曜日

新学期

今日から古巣の大学での授業も始まった。皇族関係で入構が厳しくなるかと思ったが、案外そうでもなかったのには拍子抜け。第一回目の授業は、ほとんどが雑談というか漫談に終始した。来週から中身もしっかりせねばと思うと気が重い。4月の大学はどこもかしこも学生だらけ。図書館でゆっくりする場所もなかった。その後、連携している授業のことで小学校へ。入るまでは何となく足が重かったが、やはり長年いた場所は懐かしい。かつての同僚と話をしたり、連携授業の打ち合わせをしたりと忙しかった。打ち合わせを終えて駐車場へ向かう道すがらの学食。昼間の喧噪が嘘のようにひっそりとしていた。

2010年4月13日火曜日

お散歩日和

昨日と打って変わって初夏の陽気。朝はゆっくり寝坊した。リタイア生活を実感。起きてヤフオクで売れた不要品の発送準備。そうこうしているうちに息子が荷物整理にやってきたので、午後は多摩墓地へ娘の墓参り。いつになっても歳を数えてしまう。造花だが桜を供えてあげた。息子に最寄りの駅まで送ってもらった。駅前の公園のきれいな桜が眼に入った。公園の隣はコンビニ。酒というのぼりが気になり、冷えた缶ビールを買い公園のベンチへ行こうと企んだが、公園のベンチでは妙齢の娘さんが読書をしていた。隣に座って ぷはっ とやったらホームレスと思われると判断。踵を返して逆方向へ。コーヒー屋さんを発見。水彩画展をやっていたので入ってみた。ヨットハーバーの絵に引き寄せられたというのが正解か。キリマンジャロの味は大したレベルではなかったが水彩画を堪能。しばらくしたら絵でも描いてみようかな。電車をひとつ手前の駅で降りて散歩。畑の中を歩いて行くと急な下り坂。武蔵野台地のハケには、いつも感心する。自然のエネルギーを感じる。川沿いの道をゆっくり歩いて小一時間。歩数としては6000歩ぐらいだったが、気持ちよく汗をかいた。シャワーの後のシャンパンが美味しいに違いない。

仕事初め?

リフレッシュ休暇もひと休み!?Z大の授業が始まった。昨年度までは受講者がすでに決定していたが、今年から他大学なみにお試し期間が設けられたので、本日は顔見せ興業。雑談に終始したが、4回戦はきつかった。少しずつ話も変えて何とか終了。終えたらすぐに飛び出してバスに乗った。学期始めの学バスは満員だった。冷たい雨の中、新宿へ。ヨットの会合と名の飲み会へ。新宿3丁目は最近のお気に入り。やはり故郷は気持ちが落ち着く。真面目な話も少しはしたが、大半は青春時代の思い出話。思い出にならずに、まだその気でいるのが可笑しい。仲間に社長が二人、孫がいるのが三人誕生したと言うのに。ヨット仲間は気が若い。そんなに長居したつもりはなかったが、帰り着いたら間もなく日付が変わった。

2010年4月12日月曜日

クルージング!

久々の海。しかも近いとはいえ泊まりがけのクルージング。行き先は房州館山。最近の私にとっては馴染みの場所だ。二日間の天気予報はまずまず。油壺を出るときは晴天。日焼け止めをたっぷり塗って出港。ところが途中から雲行きが怪しくなって、急に視界が悪化。雨粒が落ちてきた。堪らずカッパを着込む。寒いので紅茶にウイスキー。霧の中から表れた本船にあわや追突されそうになったが、うまくかわして館山へ入港。空は明るくなり一安心。館山でのヨット仲間が出迎えてくれ、日帰り温泉へ送迎してくれた。やはり同塾の仲間の絆はありがたく、急に愛校心が目覚める。航海の後の風呂は最高だが、それに湯上がりの一杯が付けば、もう何も言うことは無し。ちなみにつまみはソフトクリームではなく枝豆なり。夜は、ご存じなめろうと冷や酒。これが効いてしまって、半分記憶喪失状態で気絶。船の中は狭いが安眠出来る。
翌朝は、6時からやっているという定食屋へ。これまたタイムスリップしたような老夫婦経営の店。朝定は350円がベースで、それに海苔、納豆、たまごなどオプションを付けていく、すべて50円也。こうした店はどんどん無くなりチェーン店かファミレスに変わって行くのが淋しいが、まだここ館山では健在。帰りはいい風に恵まれ快走、快走。ブローチングも一回と思っていたら、東京湾の真ん中で風が落ちた。この辺りの地形的な特徴らしい。せんだっての馬場先生の講義内容を実際に体験した感じ。途中本線航路では何度か衝突の危機もあったが無理せず回避。やはり東京湾横断のヨットレースは危険が大きいかも。壺に帰ってきたら、また初夏の暖かさ。まだ残っている桜を見ながら湾港に浮かべてまったりと食事。帰りの道の渋滞が心配で早めに東京へ。この週末が最後の花見なのだろう。帰りに寄り道をしたMG川の水面はくすんだ緑色だったが、散りゆく花びらが見事な彩りを加えていた。



またまた月島

退職事の最後の祝杯ということで、銀座方面に繰り出した。まずは歌舞伎座となりのワンコインバー。雰囲気とお値段はいいのだが、サービスが今ひとつ。多分前回、ハッピータイムに職場のおばさま連と押しかけて、無料お代わりのみを飲んで帰ったのを根に持っていたに違いない。もっと、客を長い目で見てやらねば商売は繁盛せぬと思った。今度行くときは有楽町店へ行くであろう。その後、ご存知月島の名店UJへ。鳥屋さんの顔で極上のまぐろを堪能した。その後はもんじゃで仕上げ・・・とはいかず、またまた財布と身体に良い訳がなかった。4月8日の出来事。

新学期

いつもならば、慌ただしい新学期ものんびりしたもの。最後の責任で、中学へ進学した教え子の入学式を見に行った。目立たぬように2階の隅っこで拝聴。制服が変わると急に大人びて見えるから不思議だ。新入生代表誓いの言葉は、元我がクラス1の才女が行ったが、毎日、ごろごろ寝ている私よりよっぽどしっかりしていると思った。やはり、若い人の活躍の場を提供する意味でも、皆さん早々に退職し、第二の人生を楽しみましょう。せっかく、学校に来たので、来週から始まる大学の非常勤授業準備をしようとしたが、大学とは、のんびりしたところ。まだ全てが動き出しておらず図書館で自販機のコーヒーを飲み、うろうろしたのみに終わった。4月7日の出来事。

2010年4月6日火曜日

たぬきの棲み家

どうして、こうも眠れるのだろう。ちょっと昼寝のつもりが2時間はざら。日々の計画が立たない。今日はガレージ整理を頑張った。オークションに出すつもりでいたものが、かなりの量に。結局、半分は捨てたが、オークションに出したのは自分にとって思い入れのあるものという方程式を見つけた。忘れてもいい物は早々に捨てるべし。約半日頑張り、中腰の体勢が辛かった。夕方、片栗の群生が隣町にあるのを思いだし、ミニツーリング。ちょっとの差で片栗の花は萎んでいたが、見事な雑木林を散策。タヌキの家族はここを寝床にしているに違いない。出くわすといけないので、日暮れ前に早々に退散した。

2010年4月5日月曜日

一杯のたぬきそば

今朝も寝直し。そろそろ自由人になったことを自覚するようになった。外は雨。不要品をヤフオクに一気に出そうと企んでいるが、この雨ではねえ。ケーブルテレビで昔の名画を見出すと止まらないので勇気をもって布団から出る。実際は腹が減ったのである。来週から始まる非常勤の授業準備もせねばならぬが、昼間から机の前に座るのはどうも気が進まぬ。配達してもらった灯油代を支払う用事もあったので近所の商店街を散策。傘をさしてオジサンが一人散歩。やはり格好が付かない。散歩の供が必要かもしれない。近所にコンビニやスーパーが無い代わりに個人商店は多い。老人が多い土地柄だからか。外食店も少ないが、蕎麦屋に入ってみた。予想通り老夫婦が経営。作るのが奥様、旦那は配達が主な仕事のよう。シンプルにかけそばと思ったが、次のグレードにした。たぬきか?きつねか?迷ったがたぬきに。先日出会ったタヌキがまだ頭の中で画像として残っている。別にタヌキを食す訳ではないが、なぜか親近感が。お値段は一杯530円なり。がらんとした店内を考えると一体、一日にいくら利益があがるのか。人ごとながら心配になってきた。味はまあまあ、どこか家庭的。野菜もたっぷり入っているのに加えてミニサラダが付いていた。チェーン店ではこうはいかぬ。関係業界から貰ったと思われる古い室内温度計の割れがセロテープで補修してあったが、掃除は良く行き届いていた。団地に若い人が多く住んでいた頃は繁盛していたのであろうが、店を閉めるのもそう遠くはないかもしれない。外の雨は冷たく降り続いていた。

2010年4月4日日曜日

ドックショー

生まれて初めてドックショーなるものを見に行った。まずは会場へ行く道すがらワンちゃん連ればかりなのにびっくり。行きの電車の中でも、うまく鞄にいれて持ち運んでいた。世の愛犬家は皆行くイベントらしい。会場に着いてみたら、普段は目撃するだけで興奮する犬種がうようよ。そのうち慣れてきたが、初めはタヌキ目撃と同程度の驚きだった。そしてコンテストを拝見。一言で言えば完璧なお犬様を目指す美人ショー。お仕事がらみだからしょうがないのだろうが、多くの大人がそれに振り回されている感じ。また、それを見る愛犬家たち。いささか気持ち悪くなってきた。少なくとも私には無縁な存在。街角のポチは、どこに行ったのか。たくましい柴の雑種と河原でも散歩したくなった。そんな訳で、ワンちゃん探しは一時停滞を決めた。運動不足は明日からでも解消したいので、電車に携行出来る自転車探しに。下町の有名店に行き試乗をしたが、あまりの高値にびっくり。国産でいい物は出来ないのか。まあ、大都市の電車の混雑を考えると、種々決まりがあるのも頷けるが。輪行というシステムがもっと気楽に出来ると開発も進むのであろうが。これまた、お預けとなった。家の回りをテクテク歩くのが早道か。

2010年4月3日土曜日

爆睡

やはり37年間の蓄積疲労は大きかったのか、起きては寝、寝ては起きての繰り返し。結局夕方まで床に付いていた。ヨット仲間に事務連絡するために郵送準備。仕方なく近所のポストへ。久しぶりに自転車を漕いだ。自転車に乗るには良い気候となったが、寝起きの薄着には辛かった。商店街唯一の桜の元でインスタント花見。明日はドックショーでも見に行こうか。

2010年4月2日金曜日

軽くお散歩

午前中は前線通過の嵐。午後になって雨も止んだのでモンキー君でお出かけ。駅前のスーパーに無料駐車場がある。50cc未満限定なので、白ナンバーにはメリット多しと判断。原付二種のイエローナンバー取得はあっさり諦めた。田舎道でねずみ取りはしていないだろう。そういえば、昨晩巨大なタヌキが目の前の暗がりを横断。タヌキも活動する暖かさになったのか。いや、タヌキは餌を求めて必死で生きているのに違いない。人間様はお気楽である。駅前のATMで振り込みを済ませる。ヨットクラブの会費がいやに高く思えるのは収入が激減したからか。そろそろ会費類を整理し、どこを払うべきか決める時機か。無料駐輪場があるのでスタバでカフェタイム。外で飲んでも寒くない頃となったのは嬉しい。

ガーン!

一夜明けて、N市市役所へ。息子が一時転入した。3週間の滞在の中で病院通いをする為に健康保険証を入手するためだ。これも結構面倒なのだが、市役所の人がうまい抜け穴を教えてくれた。同月中に加入、離脱があれば保険金は掛からないとのこと。これが月が跨ると前年度の年収証明など、ややこしいことになる。4月1日は年度の初日故、窓口は混んでいたが無事に手続き終了。阿佐ヶ谷の主治医のもとに。私の血圧測定とともに息子の1年間のカナダ滞在にむけて薬を貰うのが目的。いつもの様に診察台に横になり、血圧測定。ドクターに、おまえ死ぬぞ!と一喝された。上も下も、いつにない異常値なのだ。早速4月末日の血液検査を予約させられた。目標があると現金なものである。駅まで送ってくれるという息子の誘いを断り、歩くことに一駅では近すぎるので、もう一駅。これだけで5000歩。まずまずである。ここまでは良かったが、このO駅には二つ駅ビルがある。ひとつは近代的なビルで有名店が入っている。もうひとつは、いやに庶民的な雑居ビル。ちょっと腹が減ってふらふらと吸い寄せられるように。馴染みの蕎麦屋の前で旬の春野菜天ざる1080円也という写真付きの広告に出会ってしまった。酒は辛口の高清水、なみなみ溢れて一杯500円也。本格的な節制は明日からにしよう。

一貫太郎のお値段は?

とうとう勤務最終日。年休をとっているので行かなくてもよかったが、保険証の切り替えもあるので登校。卒業制作は無事に付け終わった。一時帰国している息子の昔の口座解約のため郵便局へ。とても親切に対応してくださり。もう一口座あることも判明。併せて解約した。さて、退職辞令と共にもう一枚の紙が。退職手当決定通知書である。金額を見て卒倒しそうになった。金4,510,058円也!先日先輩に見せてもらった計算書では730万ほどだったのに。自己都合で6掛けするとほぼぴったり。今は自己都合6割なんてないかと思っていたが、まだまだ古い体質だった。思えば退職辞令は4回書いた。全部自己都合だ。勝手に辞める者には、また永く勤めない者には日本の社会は冷たい。退職願いに行の下に 私議 と小さく書くのが、その象徴か。退職金を小分けに貰っているだけと言う者もいるが、私の生涯退職金を纏めてみると。商社に6年いて、36万円なり。続いて地方公務員10年で185万也。私学に6年いて220万也。それに今回の12年分の451万を足すと。合計892万円也。かたや、定年まで勤め上げた人は2300万ぐらい貰っている。その差1400万あまり。退職時には、それなりに嫌な事からおサラバ出来るので気分はいいが、その卓袱台ひっくり返し代が1400÷4として350万である。一回寺内貫太郎になるには350万のオプションということか。まあ、不景気故、民間ではもっと大変なところもあるのであろうが。そんな訳でこの日は専属運転手が付いていたこともあり、乾杯続き。昼はW大の隣のRRホテルで。夜はK駅のピザNで。身体と財布にいい訳がなかったが、一応の心の区切りとはなった。3月31日の出来事。