2009年9月29日火曜日

良き友

会合は、私の浪費がもとで資金問題関係において紛糾すると思いきや、友人たちからの暖かい励まし。涙のタンクが空になっても足りないほどの幸せを感じた。やはり、持つべきは良い友である。こんなに我儘な私を寛容してくれる交友に感謝感激。死ぬまで仲間とヨットをやろうと決心した。

2009年9月27日日曜日

練習初日

土曜日の疲れが抜けず、朝5時半に目覚ましをかけたが起きられず、6時過ぎに飛び出した。館山まで何時間かかるか読めずハラハラしたが、制限速度を厳守しても2時間ちょっとで着いた。ETC割引効果はあるが、それでも約3000円也。近くはないが渋滞がなくスムースだった。9時の集合には楽々間に合った。9時半頃には出航。10ノット以上のいい北風が吹いているが、さすがに鏡ヶ浦というだけあって波が無い。26フィートの小型艇は勝手が違うが、マークを打って2艇で上下の練習。スピンを揚げると、すぐ降ろす。タックタックの連続。解っているクルーは私を入れて3名だったので大忙し。1時間もすると喉がカラカラ。その後レース練習。これがみっちり1時間。何て濃い練習なんだろう。船は古く、艤装もお世辞にも立派とはいえない。セールもよれよれ。それでも懸命に練習する彼ら。我々は何て恵まれた環境で乗っているのかと痛感。久しぶりのテンダーにもはらはらしたが、足腰が痛い。午後は吹き上がりトラブルも出て早めに練習終了。正直ほっとした。このヨットクラブは自衛隊の岸壁に居候する形で成り立っている。メンバーも自衛隊の方が多いとか。どうりでハードな筈だ。この練習を半年続ければ、きっと自分の健康維持にもいいと思った。

社会復帰


インフルエンザで4日、そのままシルバーウィークに突入。お休みといっても文字通り床に伏せていた5日間。合計9連休となってしまった。休養充分と思いきや、職場に出てみれば仕事の山、息をつく間もない。ブログもストップ。やっと金曜日になって、少し余裕が出た。金曜日は帰国生の特別クラス。11人と少人数なので家庭的な雰囲気の中、授業は進む。だが、さすが帰国生、自己主張は激しい。緑の校庭を描いた絵を見ながら延々と議論が。翌日のZ大は150人の大授業。だが、こちらは大人しいもの。年齢差のある授業はそれなりに面白いが疲れもする。
土曜日は帰宅したら、ちょっと昼寝のつもりが大寝してしまった。

2009年9月23日水曜日

片付けの一日

明日からの日常に備えて早起きするつもりがだらだらと朝寝。でも朝から片付けを開始。場所を決め、ひとつひとつ実行。大体書類の8割は不要な物。余分は作らないつもりでも溜まると結構な量に。全部電子データにすればいいのだが、それらは一瞬にして無になる危険性もあるし、授業の生の声はやはり手書きでメモするのが一番。ファイルを新しく買い、整理、整理。物理的にはずいぶんと余裕が生まれた。忙しくしているのもあと半年で、4月からは行きたくても行くところがないと自分に言い聞かせる。今年の年末年始は休み無く登校し、ぴったりと3月半ばで仕事に終止符を打ちたいものだ。さて、どうなりますか。明日から職場復帰、ポーズとしてマスクは持参せねば。

2009年9月22日火曜日

生来の怠け者?

あと、休みは一日と押し迫った。一向に原稿が進まない。急ぐ物から始めたが、それも捗らぬ。昨年やった講義録が見あたらず、どたばた。今年は今年のやり方で考えることに。考え出すと切りがないので、適当なところで妥協。整理の悪さも手伝い無駄が多い。思い切って要らない物を捨てればいいのだが。退職したら整理に、まるまる1年はかかりそう。何とか土曜日の授業準備だけは終了。はや日が暮れてしまった。あと、一日残してやるべき事の半分も終わっていない。年中借金生活、自転車操業といった感じだ。本業以外が忙しすぎて身体を壊してしまいそう。まあ、一歩一歩やるしかないか。ニュースを見ればシルバーウィークの話題ばかり。出かければ出かけたで疲れそうなので、たまには籠もった生活もいいのかも。週末までには体調を整え館山の初練習に馳せ参じなければ。

2009年9月21日月曜日

復帰一日目

やっと、本格的に外出し職場へ行った。学力テストを取りに行くためだ。そのまま採点してから帰ろうかと思ったら、連休中にもかかわらず出勤して来た同僚がいたので、家へ持ち帰った。そんなに職場が好きなのか!私には真似できない。髪も髭も伸び放題だったのでJR駅前の千円床屋へ寄ったら元保護者と遭遇。駅前にビルを持っている資産家がこんな床屋を利用している!それほど不景気なのか。もう違反はできないので駅前のホテルに車を駐め、ついでにレストランで軽い昼食。お気に入りは、サンドイッチだ。何の変哲のないレストランが、すっかりモダンに様変わりし賑わっている。ここでもキーワードは低価格。ドリンク、スープ、サラダの3種の取り放題バーが併せて300円也だった。自宅に帰って3時間ほどで採点終了。作問者が不在だった割には平均点は予想の範囲に収まりやれやれ。これで、やっと休日開始!と思いきや、溜まりに溜まった原稿。あと2日間で捌けるか。憂鬱になり、気晴らしにサイクリング。外出するには最高の気候だ。街道は渋滞の車の列また列、歩道をスイスイすり抜けながら走った。心地よい疲れでベッドでうたた寝。いつになったら仕事のエンジンが掛かるのか。

2009年9月20日日曜日

どうも調子が


今ひとつすっきりしない。全身のだるさが抜けない。インフルエンザの治癒証明はもらったが、タミフルは全部飲み切れというのが医者の指示。首の後ろ脊髄あたりが朦朧としている。時々目まいもする。Z大の成績でもやろうと格闘。成績つけはお手の物だったが、今回からネットで送付する形式になった。間違いがあってはいけないので神経を使う。終わったら頭痛がひどくなってきた。家の中に閉じこもっているのは嫌いなので散歩でもすることに。もうマスクはいらないだろう。歩いても汗をかく季節は終わったが、近所は都心と違って畑しかなく単調だ。コンビニ回りぐらいが関の山。コーヒーでも飲みに行くことに。といっても自販機の缶コーヒーぐらいしかないのだが。自転車でと思ったが、からだを慣らす意味で久々にバイクに乗ってみた。なかなか爽快な秋の風だった。

2009年9月18日金曜日

変な夢

やはりタミフルのせいだろうか。何故かおかしな夢を、それも鮮烈なやつを度々みる。夢のお決まりで、目覚めるとさーっと内容は忘れてしまうが、変な夢をみたという感触が残っている。妄想かもしれない。とてつもなくハッピーでも、ひどくアンハッピーでもないことは何となく解るが気味が悪い。やはり頭の中の何かをかき乱す物がある一種の麻薬のような物か。今回ばかりは元気でいることの有り難みがよくわかった。早く職場へ復帰したいと柄にもなく思ってしまった。断片的に思いだす夢の一部には昔の教え子や父兄が登場する。教員生活は向いてないと言いつつ、結構終わるのが名残惜しくなっているのかもしれない。卒業まであと、半年。

2009年9月17日木曜日

闘病の日々

タミフルは危険な薬というだけあって、さすが強烈な効き目がある。すうっと眠りに引き込まれ、起きると汗をかいている。うとうと、関節の痛みは消えるというよりも麻痺している感じ。火、水、木と3日間を病床で過ごした。調子が悪い何よりの証拠は食欲が無いことだ。ジュースや菓子以外はあまり口にしたくなかった。今晩初めてまもとな食事、ビールも少し飲んだ。一口目は美味しかったが、缶ビール1本が飲み干せなかった。やはり本調子まではほど遠い。ケーブルテレビがあるので昔の名画をついつい観てしまうが、途中で居眠りしてしまうので勿体ない。さりとてダビングしても見直す機会があるのかないのか。今日は明日に迫った学力テストの問題を作成。メールで職場に送付し、印刷してもらった。便利になったものである。C先輩に言われたが日給制だったら9月は大変である。連休もあるので半分も職場へ行ってないかもしれない。安定している職場であることを有難く思うこととした。

2009年9月15日火曜日

タミフル

ちょっと恐い薬です。錯乱したらどうしよう。診察を待つ間に咳こんだらマスクを渡された。すでに流行の兆しありなのか。診察の先生は老紳士。崩れかかった診療所に相応しい風体、しかし名医とみた。我慢できなくて鼻をかんでしまったので、検査の為に、鼻の奥の奥まで綿棒を突っ込まれた。待つこと数分。あー、陽性ですね。ここにいるようにということで、待合い室には戻してくれなかった。いわゆる隔離というやつだな。職場に連絡したら最低1週間の出校禁止。治っても治癒証明を取るまで子どもの前に行ってはいけないとか。良く効く薬タミフルを薬局でもらい、すぐに帰って飲んでくださいと追い返された。とんだ厄介者という感じ。タミフルはなかなか綺麗なカプセル。果たして薬効はいかに。思わぬ休日に拍子抜け。

2009年9月14日月曜日

とうとう?

寒気、発熱。喉の痛み、倦怠感。関節も痛い。ただいま37.2°C。とうとう来たか?????

2009年9月13日日曜日

とんだお土産



土曜日はZ大後期の授業の初日。夏休みボケしている頭には辛かったが、予習を頑張ったので、まずまず自分に及第点をあげられる出来だった。これから15週。また気の抜けない週末が続く。やれやれ。八王子から高速に乗って福島は郡山まで一気に進む。ETCを通る度に割り引きという表示がでるのは嬉しい。首都圏を通って行くので実際は1000円とはいかず、2000円ほどかかったが、それでも通常の半額にも満たない。高速が混むのも納得。ホテルにチェックインし、件の天麩羅屋さんへ。実はこれが目当てだ。そんなにホテルから遠くないと読んで歩き出す。新しいスニーカーの踵が擦れるが、まだ大したことはない。そのうちだんだん痛みが増してきた。まだまだ歩けるのだが、小さなTAXI会社の脇を通ったので乗車。何と言うことはない。お店の直前まで来ていた。地方は車社会なので、近距離も歩かないそうだ。天麩羅の味は期待通りだったが、ETC効果で週末は遠来の客がかなり増えたそう。そのせいだろうか、タネに何処何処産の何々というような但し書きが添えられていた。前は地物が多くそれが良かったのだが、富津産のとか並ぶとちょっと不思議な気分。それなりにお値段も上がり、お店のスタイルも変わって行くと見た。唯一地物で褒められるのはトウモロコシの髭だった。髭まで甘くコクがあった。翌朝一番で本来の仕事を済ませ、帰りは空いている常磐道を選んだ。いわきの魚市場で売っているウニも魅力だったが、仕事が溜まっているので直行。赤いアウディーがすごいスピードで迫ってきたので逃げる逃げる。次の一団を追い越したら走行車線に戻ろうと思っていたら突然白いセダンから赤いランプが、欲しくもない青い切符をお土産に貰ってしまった。

ポリープ!


あっ!胃カメラの動きが止まった。小さなふくらみ。しばらくして、また黒い物が動き出す。喉の辺りは麻酔をしている筈なのに、異物が往復しているのを感じている。はい、抜きますよ。よくもこんなに長い管が身体の中に入るものだ。一番嫌な喉辺りは最徐行。もう一度念入りにみているようだ。綺麗なものです。中学友人の診療所所長がいう。この間、せいぜい4〜5分なんだろうけど、とてつもなく長く感じる。全く異常はありません。検査をしてくださった先生からもコメントを頂いた。この方も名人だが、看護婦の方の対応が素晴らしかった。検査の手前に別部屋があり、ゆったりとしたソファに座り説明を受け、準備の薬を飲んだりする。さすが大手家電メーカー、ポータブルDVDプレーヤーを膝に乗せてくれて検査の概要の映像を見せてくれる。これで大部不安感が取り除ける。検査中も背中をさすってくれたりと患者の不安を和らげてくれる。後で所長室で聞けば、優秀な看護婦さんでわざわざスカウトしたとか。所長室は立派で、これまた感じの良い女性が冷たいお茶を出してくれた。これは明らかに特別待遇であることは言うまでもないが、さすが大企業は違うなと思った。少なくとも公務員病院の徴兵検査のようなドックの雰囲気とは大違いで羨ましく思った。朝から何も飲んでないので氷の入った麦茶のグラスに飛びついたら、麻酔をかけた後なのでゆっくりゆっくり喉の具合を確かめながら飲むものだとたしなめられた。昨日の今日、しかも部外者を快く診てくれた診療所の皆様に感謝しつつ最寄りの駅へ。行きは快速ベンツの助手席だったが、安堵感もあってふらふら、よろよろ歩みを進める。国道を渡ると直ぐに踏切が。見慣れた海へ行く赤い電車が走っていた。
一日休みをとっていたので、一時帰国している息子と会う時間を早めて新宿へ。高校友人に連絡し、三人で遅い昼食を。昔話に花が咲く。羽田へ息子を送る時間まで間があるので友人のビルへ車を駐め、近くでお茶を飲む。空を見上げれば、すっかり秋の雲。心配事が無くなり一際空が高く思えた。

2009年9月10日木曜日

明日は胃カメラ

夏の人間ドックの結果はおよそ想像通り。ひっかかる所は無事に?ひっかかった。ひとつ気がかりなのはバリューム検査に陰がでたこと。消化器上部とある。食道癌?十二指腸癌?そう言われてみると飲み込む時に違和感があるような。気にし出すと止まらなくなる。胃カメラは正直恐怖だ。採血と胃カメラ、この二つさえなければ毎日でも検診を受けるのだが。あの器具を飲み込む時のウェッとする嘔吐感、食道を管が通る感触、胃の壁に当たる確かな衝撃。どれをとってもゴメンだ。下北沢に無痛のクリニックがあったことを思い出し、古い診察券を頼りに電話。留守電。今日は休診日だった。しかたなくご指定の公務員御用達の病院へ電話。繋がるまでに一苦労。結果、9月中は無理とのこと。最後の望みで中学の同級生に電話。さる大手企業の職員用大病院のトップの方だ。連絡後2時間で返事。民間を含めて探したが、手頃な所がなく、うちへ来いとのこと。それも明日でOKとのこと。急いで明日の授業を振り替え。うまい具合に成功。病院長のお車に乗って明朝一番で内視鏡検査を受けるはこびとなった。うれしいような、やはり恐いような複雑な気分。

2009年9月9日水曜日

カウントダウン



しばらく写真を載せていなかったので、まとめて。
ここは新宿御苑ならぬ、某国立大学法人附属小学校。芝生ならぬ牧草は順調に生育。緑の草いきれは何度嗅いでも気持ちがいい。朝晩の涼しさも格別。やはり大自然の恩恵は計り知れない。次は名古屋在勤のTS氏からのプレゼント。某有名パン屋さん製造のロングライフパン。防腐剤を使わずに、賞味期限40日というのが驚異。しかも美味。入手先が限られているのがネック。でも長期航海には欠かせぬと思う。通信販売を利用しようか。今日は、保護者会。卒業アルバム委員会などで慌ただしく過ぎた。久しぶりに一杯いただいたので帰りは副都心線経由。必ず座れるのが嬉しい。最寄り駅で降りて小腹が空いたがラーメンは止めてスタバ。このぐらいが丁度頃合いかも。明日からまた寸刻みのスケジュールが続く。あと半年卒業まで一気に行くかも。週末も林間学校が中止されたあおりで単身福島までサービス出張となった。休日も返上。またしても溜まった疲れはとれない。

2009年9月8日火曜日

休みの日は元気なのだが

月曜日の朝、起きてみたら脚が攣る。何とか脚を引きずりながら職場へ。空き時間があったので職場近くのスポーツ整体へ。保険分を越えてマッサージ。多少痛みは治まった。職場へ復帰したら事件勃発。詳しくは書けないが、すごい剣幕で怒鳴り込まれた。この件は夜半まで収拾に時間と手間を要した。疲れ果てて帰宅。食欲も失せて床に着こうとしたら郵便物が眼に入った。人間ドックの結果。予想通り?の悪結果!そのまま倒れ込んでしまった。火曜日も細かいトラブル続き、怪事件が発生。ストレスで血圧も高まりそう。さらに会議が空転、意味もなく4時間を超えるロングラン会議。午後8時前には終了したが、13時間を越える勤務は身体に良いはずがない。サソリ号で高速を爆走。30数分で帰り着いた。記録更新。少しは溜飲が下がった。事故に気をつけなくては。精神安定剤が欠かせない。

2009年9月6日日曜日

頭が回らない

夏休みボケはひどいもので、なかなか仕事が軌道に乗らない。今日は一日机に座り頑張るつもりが長続きせず。葡萄と梨は今が盛りなので、気分転換に近所の果樹園を探索。どこも今ひとつで結局一番近所に行ってみた。梨は血圧が下がると信じモグモグ。気のせいか調子がいいように思う。仕事の段取りだけして昼食。リゾットを作ってみたら、それなりにうまくいった。缶ビール一本で我慢。食後は教え子にプレゼントする為の作品梱包。結構時間がかかった。500g以下なので定形外郵便が一番安いようだ。ついでに暑中見舞いの最後の返事書き。9月になってしまったが出さないよりはましというもの。今から年賀状のことがちらつくが、これも今年が最後。やっと返事書きから解放されるか。午後はZ大の講義の準備。昨年の資料はあるが、何を講義したか思い出せない部分あり。やはり老化現象現在進行中なり。

ふるさと巡礼









学期初めの長い一週間が終わり、休日。色々と片付けたい事があったが、なかなか寝床から抜け出ることが出来なかった。降圧剤が切れていたので、阿佐ヶ谷のドクターFのところへは、どうしても行かねばならぬ。しぶしぶサソリ号発進。たんまりお薬を入手。帰ろうと思ったら、車の鍵が無い。看護婦さんが忘れ物ですよ、とサングラスと共に手渡してくれた。サングラスが無いことすら気がつかなかった。俺よりも老化現象が進んでるとほぼ二十歳年上のドクターに言われてしまった。意気消沈。弟の事務所へ車の部品を届けに。駐車場へ車を停めて新宿の画材屋さんへ行く。先日のグループ展で教え子に作品をあげる約束をしたので、作品に取り付ける吊り金具を買うためだ。300円ぐらいでは駐車場サービスが受けられないので弟の事務所から歩いて行くことに。生まれ育った土地を久しぶりに歩くと随分様変わりしていた。腹が空いたのでお昼をと思って探すと、台湾料理屋がやたらと多い。大久保通りの向こうは韓国人街だが、その手前は他のアジアン系という訳か。タイやベトナムなど面白そうな店も多かったが、入って外れだと悲しい。昔良く出前を取っていた蕎麦屋を発見。以前と雰囲気が違うので、新しい店に変わってしまったのかと思いながら、のれんをくぐって入って見る。外側は別物だったが店内は全く変わっていなかった。ミニ天丼セットを取る。味は全く平凡。おいしくもまずくもなし。粉を溶いただけのわさび、つやの無い麺、単調な味のつゆ。それでも食欲が湧くのは、子どもの頃に食べた記憶が蘇るからか。擦り込まれた物はおそろしい。海老の天麩羅がボリュームがあるように見えたが回りに広がっているのは衣だけだった、かつては、脚も一緒に揚げていたのに。外へ出ると高校生の頃バイトをしたスーパーは健在。裏道を通って新宿へ。幼い頃通った幼稚園跡には大きな住宅が建っており昔の面影は皆無だったが、付近には昔のままの家並みも僅かに残っていた。うっすらと汗をかき、新宿3丁目に到着。

2009年9月4日金曜日

長い一週間

学期初めの一週間。長かったあ!実際は初日、台風でさぼったので実質4日間だったんだけど。眠くて眠くてしかたがなかった。もしも林間学校が平常に催されていれば、今日はいわきの海へ行って、水族館見学。子どもがお魚に夢中になっている間に焼きウニを食べようと、お店まで下見していたのに。子ども達のストレスも極限状態なので、今日は大学のグランドを貸し切りスポーツ大会。悔しいので、グランドの中をミニバイクで走り回っていた。すかさず子ども達から歓声が。喜んでいたら、サーカスの熊さんみたいというのが実の声。いわゆるボリショイ君という訳か。それでも暑い中をバイクで颯爽と?駆けめぐるのは痛快だった。来年の林間学校へは、軽自動車のレンタカーを借りて乗り付けてよろうかと思ったぐらい。やり残したことは気になるものである。

2009年9月2日水曜日

善行報われる?

おまけの一日などとのんびり惰眠をむさぼっていたのは、私以外に一人きり。どうして日本人は真面目なヒトが多いんだろう。職場の風当たりは強いが、あと半年、知ったことではない。始業式は放送にて行われた。インフルエンザは一人もいないのに。不可解なことであるが、歴史的な出来事に立ち会えたと思うことにしよう。一日遅れの始業式だけでは済まなかった。いきなり6時間授業。これには参った。最大の強敵は夏休みの宿題。子どもも大変だが、それを見る教師はもっと大変。専門の教科は何とか誤魔化すが、物理的に消化しきれないのが、日記帳。何しろ40日分の日記がどばっと積まれる。二日かかって、気持ち悪くなり吐きそうになったが、何とか無事に片づけた。帆走中の天気図10回に匹敵するような辛さだった。喉もからからだったが車だったので、寄り道せずに帰宅しようとしたら校門で子どもとすれ違う。聞けば歯の矯正具を忘れたそうな。夜間に生徒を校内に入れることは堅く禁じられたいるが、内緒でいれてあげた。心配なので帰るまで見送った。ルールを破っても人助けをするのは気持ちがいい。帰りは疲れていたので首都高経由。降りてからバイパスで荒川を渡る。前にとろとろしている軽自動車がいたが、抜く元気もなくいらいらしながらも、仕方なく後に続く。川を渡り終わると何やら赤いランプが点滅し、渋滞している。スピード違反の取り締まりで一網打尽になった車の列であった。良い行いは、誰かが見ているものである。くわばらくわばら。