2012年4月28日土曜日

いよいよ本番



毎日のように雨模様。どうやら入梅?らしい。肌寒かったり、蒸し暑かったり。
そんな中、準備に明け暮れる毎日。どんな風が吹くのか?何日でゴールするのか?
そんな話題がハーバー中のあちらこちらで囁かれ絶え間が無い。予報士一気に急増中。
それにしても透き通った綺麗な海だ。ハーバーの中にも珊瑚が見える。
日本にも美しいところが沢山ある。今回の航海の収穫かな。
さて、明日から潮まみれの数日間。体力が持つかなあ?
今日は早く休むこととしよう。
4月28日の出来事

2012年4月26日木曜日

準備開始

暑い、暑い!さすがここは南国。レースに備えて諸準備開始。作業をすると爽やかを通り越して汗だく。堪らず上半身裸になっていたら、背中が日焼けで痛い痛い。
やっと、夕方、本日の作業を終えてホテルへ。溜まった洗濯物を小脇に抱えてコインランドリーへ。洗濯待ちの間にフェリーターミナルのデッキで一杯。潮風が心地よい。
さて、明日からレース本部が設置され、様々な事が本格的に始動。書類提出や、安全検査など忙しくなりそう。スタート時の天候予想は雷雨?大荒れ?勘弁して欲しいなあ。
4月25日の出来事

2012年4月24日火曜日

遠い遠い海のかなた

最終レグは最も長い330マイル。2回のナイトセーリングを挟んで推定50時間の連続航海。
屋久島から黒潮を渡る辺りが風強く、波悪く大変な苦行。3時間ごとにワッチを組んで寝ずに走るわけだが、なぜかいつも厳しい海況なのは、普段の行いのせいか?でも時には平穏な時間もある。そういう時は船上でランチ。そして水洗?の流し台で食器洗い。海上生活者、いや難民の体。ワッチオフでもぐりこむ毛布はすでに潮だらけ、汗まみれ。自分で自分の臭いに辟易。でも、そういう暇も無く眠れる時は貴重な時間なのでむさぼる様に睡眠をとる。しかし、平穏な時はいいが、少しでも風が強まると、船は木の葉のように揺れだす。そういう中では熟睡という訳にはいかず、目をつむってひたすら疲れを軽減するのみ。排泄をコントロールする事から生活が始まる、畳の上の生活が懐かしい。夜の海は危険が一杯。一歩誤ると死の世界。2度ほど波に飛ばされベンチから滑る落ちる。本番のレースが心配。夜のワッチも3時間ごとにめぐってくる。3人でワッチしているので舵を1時間交代で受け持つことになる。各種計器が完備されているレース艇だが、夜の走りで頼りになるのは、星明かり。暗黒の海の頭上には満点の星空。ある星を決めてそれを頼りに舵をとると大きな狂いはない。かつての航海者達は皆こうして船を進めたのだろうと思うと千年の月日が一気に巡ってくるような気になる。
そうこうしているうちに南の島、沖縄に到着した。
4月22日から24日に掛けての出来事


2012年4月20日金曜日

第一目的地に到着

四国から九州へのナイトランは吹かれ波悪く大変だったが、南国宮崎の油津という港は落ち着いた良港だった。何よりも日差しの質が違う。更に南に船を進めるべく夜明け前に眠い目をこすりながら船出した。夜の海は依然として冬だった。やがて太陽が顔を出し、やっと平和な日和に。横から受ける潮は2ノット以上。それでも黒潮の本流に比べれば子どもといったところか。豪華な船上イタリアンランチを堪能しているうちに第一の目的地、種子島に到着。久しぶりの槍付けだったがベテラン勢は難なくこれをこなした。

オーナー待ちをする間に島内観光をすることに。もう、すっかりクルージングモードである。市内にはお魚のオブジェがあちらこちらに。アーティストと市民のコラボらしく幼稚園や商店、本当に街中に可愛いお魚が泳いでいたが、同行の先輩諸氏にとっては、さほどの関心の対象ではないらしい。我が国の経済界をリードしてきた諸氏にとっては優先順位が違うのだろうか。ここにアートが育たぬ体質をみたと言ったら言い過ぎだろうか。
レンタカーを借りて一番の観光地、宇宙センターへ。007の秘密基地まがいの島の端、絶景の地にそれはあった。所内ツアーを申し込んだおかげで、普段みることができない場所にも入ることができ、丁寧に解説してもらえて充実した時間だった。韓国の方の訪問が多いとか。
夜は船では決して食べることが出来ないパッフェに挑戦。大したことは無いのだろうが、久しぶりに食べると滅法旨い。ダイエット効果が一瞬にして吹き飛んだが、これからの残り300マイルの航海、2晩のナイトセーリングでまた減量できると信じたい。
4月18日から20日に掛けての出来事

2012年4月17日火曜日

南の海へ第1歩

尾鷲を出て紀伊半島を平和に南下。那智の滝が運良く見えたりとすっかり観光気分。荒れると思った潮岬も難なく通過。そこまでは良かったのだが・・・なぜか夜になると必ず荒れてくる。10ノット、20ノット、ええ!どうして30ノットまで上がるの?しかも波は最悪。いつも乗っている海は外洋ではないと痛感。これが外海なんだあ、と改めて実感。3人ずつのワッチで3時間働き、6時間休憩。深夜のあたると、これが辛いこと辛いこと。深夜を間逃れると今度は夕暮れと夜明けに当たる。寒い!トイレ行きたい!すべて我慢がまん。ワッチの時間は倍以上に思え、オフの時間は半分に思える。しかも木の葉のように揺れる艇上では熟睡できぬ。着替えもアクロバット。こんなのは外洋では日常なんだろうけど、すっかり潮気の抜けた情けない都会人にとっては試練の連続。ミニボルボオーシャンレースの体である。

途中、高知の久礼という素敵な港に寄港。カツオの一本釣りの漫画のモデルになった町とか。カツオのたたきの美味しさが今でも喉に残っている。うーん、陸からまた来なくちゃ。一気に4kg減量できたのに、また戻りそう。難所足摺岬は、それほど苦しまずに抜けたが、そこからの九州渡りが、これまた試練の時。35ノット、追い風で悪波。舵をもっているとぶっ飛ばされそう。いや実際何度か体が浮き上がってひやひや。早くも帰りのレースが心配になるというもの。
行く手は暗黒の海、そこを孤独に耐えて走るヨット。精神的には苦しいスポーツである。こういう中でも名手CB君の大活躍で何とか安全を確保しながら宮崎に着くことが出来た。
海の色は既にコバルト色、これから南の海へと世界は続く。
4月14日から4月17日にかけての出来事

2012年4月13日金曜日

長い旅は始まったばかり

船出の準備は結局、午前2時過ぎまでかかってしまった。荷造りも手抜き、その事は後で後悔する種となってしまった。O大の授業は遅刻は許されぬ。緊張して6時前に起きてしまった。二度寝するのが怖くて、そのまま発進!朝飯抜きで出たので、久々にKM駅の立ち食い蕎麦屋へ。ここは、蕎麦は注文を受けてから茹でるこだわりの店。天ぷら、おにぎりもうまい。興味深いのは、朝から缶ビール、熱燗など、早朝おじさん飲み屋健在、と言っても性悪のノンべはいない。一杯飲んで蕎麦を食べる健全な客ばかり。
O大の授業もそこそこにヨコハマヘ。準備をあれこれ済ますうちに大雨となった。結局、夜明けを待って出航。静かな東京湾を船は航く。実は静かなのは東京湾だけだった。朝飯の茶碗洗いを海水で行っていたら、やたらと船が揺れる。どうしたことかとみれば、前方から大きなうねりが。これが約30時間ほど続いた。こんな悪い波は滅多にみない。最初から試練、試練。途中、いくつかトラブルもあり、その度にバウへ。全身ずぶ濡れ、合羽は着てるが滅法寒い。しまった沖縄と聞いて薄着仕様で来たのが大失敗。この後、天気が好転することを望むしかない。20年ぶりの船酔いを経験し、意気消沈。長い夜のワッチは寒さも手伝い本当に辛かった。そうこうしているうちに、船は1日半かかって紀伊半島へ。

尾鷲という天然の良港に入港。現金なもので、陸に一歩上がった途端、船酔いの苦しみは吹き飛んでしまう。これが、性懲りも無くヨットを続けている原因だろう。雨の名所、尾鷲はやはり雨模様だった。

4月11日から13日に掛けての出来事

2012年4月11日水曜日

出航まえの

慌ただしさに・・・♪ 何て言ってる場合じゃ無い! いくら時があっても足りないぐらい。
今は深夜1時、これから明朝の7時30分までにやる To do list
・明日のO大の授業仕込み
・GW明けのZ大の授業仕込み
・25日間の航海の荷造り
さて、いったい何時間眠ることが出来るのでしょうか?
海上生活者を夢みていたけど、実行するとなると大変。レース参加でもなく、一人でのんびりと行く方がずっと楽かも。と言いながらも、3週間以上も海で暮らせるのは大いなる贅沢かもしれない。しばし、PCやケイタイの無い世界に突入、自然との対話を楽しむとしますか。
初日の明日が嵐模様なのが、嫌だが。嵐が過ぎれば好天が来るのでカッパを着て船まで行くのぐらいは我慢せねばね。

4月10日の出来事

2012年4月7日土曜日

相変わらずドタバタと

今朝は早起きしてモンキー君でお出かけ。そよ風が心地良い季節になった。バイクに乗るのに適した季節は歳をとるに反比例して短くなるのが淋しいが、風を切るのは速度に関係なく気持ちがリフレッシュして良い。バイク限らず二輪車に乗るとストレスが軽減される効果があるらしい。駅まで安価に行けるのも嬉しい事。今日は無料バイク置き場に置いた。お隣T市は偉い。

八王子の保育園へ。春休み明けの保育は散々だった。しばらく親元にいてからの復帰、また担任の交替。子どもにとっては不安材料がいっぱい。こんな落ち付かない中でのお絵描きは可愛そう。いや、こういう時だからこそ、やった方がいいのかもしれない。
いつもの倍のエネルギーを使って保育は終了。都心へ移動。空き家になった貸家の点検。大きな傷があるではないか。やはり見に行って正解。人任せだと、どうしてもトラブルが発生する。用心用心。
出航前に床屋さんへ、いつになく混んでいたが、30分の待ち時間、20分の作業時間で無事に終了。10ヶスタンプがたまったので、1回無料だった。また通う気になるものだ。運動不足を補おうと散歩。気になるお店があり、様子を見ようと立ち寄ったら3月末で廃業。ああ、残念、どんどん知り合いの店は閉まってしまう。
綺麗な桜並木もどこか淋しく見えた。

4月6日の出来事

2012年4月6日金曜日

新学期はつらいね

お鼻ズルズル、目はカイカイ。日本の花粉症は本当に気が重くなる。ぼわっとした空気が眠気を誘う、薬の効き目もあるかもしれないが、それ以上の倦怠感。桜が咲くと新学期の到来。新しいスタートは、何かと疲れるもの。隣町の市役所前には見慣れぬ観光バスが待機。黒スーツ姿の若者が乗り込んで行った。ははん、新人さんの研修だね、きっと。どの若者も緊張した表情に見えた。
こちらも、保育園で連日の新しいスタート保育。子どもたちは元気いっぱいなのだが・・・
驚いた事に保育士の先生方が大きく人事異動?3月までと、すっかり入れ替わって外見は同じ保育園だが、中味は全くの別物。この業界も人の確保が大変なことがわかった。どこかに引き抜かれた有能な方も多いとみた。落ち着くまでは、しばし火事場騒ぎの体をなすと思われる。こちらも、慣れるまでは大変。そんな中でも子どものパワーに感心すること多し。今日も捨てる方の型紙を拾った子が、その紙を丸めて鬼の角を創っていた。いや、堅い頭では出来ぬ芸当、見習わねば。

4月4日から5日にかけての出来事

2012年4月3日火曜日

沖縄行けるかな?

壺での船検は午後にずれ込んでしまったので、名人にあとはお任せ。結構トラブル多くて迷惑を掛けてしまった。日本の法規は複雑、いや、こちらの読み取りが甘かっただけなんですが。
ポルシェ号で持ち歩いていた大量の荷物をヨコハマへ運搬。上架寸前で積み込みに間に合った。やれやれ、船台の上まで積み込むのでは、たまった物ではなかった。クレーンで上げるのにぎりぎりの大型艇。それでも手慣れたスタッフはきびきびと作業する。さすがプロである。船底は半年以上揚げて無いにしては、それほど汚れておらずびっくり。最近の塗料はそういうものらしい。
沖縄まで走りっぱなしなので、それほど汚れないだろうという予測。そうだといいんだが。明日も大嵐予想ということで、陸に上がった船をしっかりラッシング。それでも台風並みの強風にハルが揺すばられるとのこと。無事に通り過ぎるといいのだが。おっかなびっくり上に上がり、いくつか点検。他に回る用事があったので、草々に退散した。昼飯は正月に振られたKC楼を目指す。店の中のテーブルに座って家族でシュウマイを作っている、のどかな光景は昔のまま。驚いたのは昼飯時に限り、店の前の大通りの駐車禁止が免除になるという張り紙があったこと。本当かいな?

またまた、移動してKナース学校へ。後期の授業打ち合わせを事務の方と済ませる。
朝、海を9時前に出て、自宅に着いたのは18時。やっぱり平日に都心を抜けるのは大旅行なり。

翌日は、予想通りの大嵐。溜まっていた保育園の年間計画を一気に片付けた。昨年の5割増しの仕事が入ったのは嬉しいが、3園掛け持ちしてるのでミスをしそうで恐い。すでに細かいミスは多数。いっそ首になると楽なのだが、そうもいかず。
それにしても、この春の嵐、いつまで続くのか?本当に沖縄まで船を回せるのかなあ?早く落ち着いた天候になって欲しいもの。

4月2日から3日にかけての出来事。
明日から新学期のお仕事開始。

2012年4月2日月曜日

また海へ

昨晩は春の嵐、何でもアクアラインが通行止めになるぐらい吹いていたらしい。台風なみ、日本の海は厳しい。沖縄回航が思いやられる。先輩の船の進水式へ。この時代、またこの年代で新艇を浮かべるなんて羨ましい限りだ。懐かしい人達と歓談。あっという間に夕方に。富士山をバックの夕日はいつみても格別の趣。


明日の船検の準備などするうちに撃沈。早起きしたので、いつもの朝定屋さんへ。風はまだ吹いている。朝日もなかなかいいもの。潮風を胸いっぱい吸い込んだ。花粉が飛んでいないのが有難い。
4月1日の出来事